南国の夏の狂乱

「よっちょれよ よっちょれよ(どいていろよ そこをどけよ) 高知の城下へ来てみいや じんまもばんばもよう踊る 鳴子両手によう踊る よう踊る」
よさこい鳴子踊り」では「よさこい節」の前に上記の節が追加されている。
阿波踊りに匹敵するものを」と商工会議所から、当時高知在住であった愛媛県出身の作曲家武政英策氏に音頭の作曲を依頼した。武政氏は民謡「よさこい節」を基に、いくつかの民謡と独自の歌詞とメロディを付け、「鳴子」を持って踊ることも考案した。やはり長い伝統を持つ「阿波踊り」に、素手では対抗できないと思ったのだろう。
そのように、伝統的な背景もなく、「財界主導」で始められた祭りであったが、伝統を持たぬ故、「自由度の高さ」という最高の方法論があった。「正調」というスタイルもあるにはあるが、「鳴子を持つ」ことと音楽に「よさこい節」を含むという基本的なルールを踏めば、後は「自由」なのだ。それに土佐人のDNAに眠る「何か」と化学反応を起こしたのだろう。年を重ねる毎、参加者も増えて、踊りも衣装も音楽も多様化した。サンバもロックもあり。武政氏もそれを歓迎した。南国の真夏の炎天下、数日間踊りまくるという馬鹿馬鹿しさは土佐人のソウルそのものになった。
今や「よさこいソーラン祭り」を始め、全国に飛び火し、よさこい発祥の地が高知であることを知らぬ人までいるほど、隆盛を極めている。よさこい祭りの後夜祭には「よさこい全国大会」と称して全世界より踊り子が本場高知に集結する。
私の妻の実家は加古川だが、そのいとこは「加古川おどっこまつり」の実行委員である。岡山市でも小規模だが、「よさこい踊り」はある。
ちなみに、高知人は踊り子として祭りに参加したことのない人でも、正調ならば必ず踊ることができる。高知の小学校6年生の体育の必修であるからだ。それにどこの家庭でも、鳴子が最低1組はある。
でも、阿波踊りも素晴らしいと思う。阿波踊りは阿波のものである故に他の地域には伝播しえないであろうが、それはそれでやはり伝統は素晴らしい。
ところで私は、未だ小学校以外で踊ったことはない。踊りたいとは思いつつ、現在に至る。