おらんくのうた

ワンワンもブヒブヒもよう踊る

「土佐の高知の はりまや橋で 坊(ぼん)さん かんざし 買うを見た」
土佐民謡の「よさこい節」であるけれど、「買うを見た」のところを、県外の人などが唄う時に、「買いよった」と唄われることがある。
これは明らかな間違いというわけではないが、地元では「買うを見た」が正調とされているし、「買うを見た」と「買いよった」では重要な部分でニュアンスが異なり、唄の持つ「妙」が失われる。
よさこい節」のうちで最も有名な「土佐の高知のはりまや橋で〜」の一節は、幕末のあるスキャンダルがネタであるが、節自体はもっと前から存在し、色々な歌詞がつけられ、歌い継がれていたようだ。山内氏による河中(こうち)城築城時のワークソングであるという説もある。
そのスキャンダルというのは、五台山竹林寺の僧である純信がお馬という娘と恋仲になったことである。その時代はまだ僧侶の妻帯も恋愛も禁じられていた(浄土真宗などは多分違う)。かんざしを買い与えるところを見られて、それがゴシップネタとして唄われ、市中に広まったのだ。これには高知の城下最高の格式である竹林寺の権威をからかうという意識もあってのことであろう。だから、「買いよった」という事実のみでなく「買うを見た」という表現で第三者的視点が必要なのだ。
ちなみに、その後ふたりは駆け落ちしたが捕まえられ、純信は破戒と番所破りの罪でさらし者にされた後国外追放に、お馬も城下から離れた僻地へ追放になった。
つまり、ひどく残酷な結果を招いた唄ではあった。
よさこい節」は他にも
「いうたちいかんちや おらんくの池にゃ 潮吹く魚が泳ぎよる(どんなお国自慢しても意味ないよ 俺の故郷の池(太平洋)には潮吹く魚(鯨)が泳いでいるよ)」
「土佐はよい国 南をうけて 薩摩おろしが そよそよと」
と唄われる。
自由民権運動期には
「よしや 南海 苦熱の地でも 粋な自由の風が吹く」
と唄われた。
よさこい祭り」で唄われる「よさこい鳴子踊り」の唄はこの「よさこい節」が基になっている。
というのは、「よさこい鳴子踊り」は実は土佐伝統の踊りではない。
終戦後、高知商工会議所が中心となり「阿波踊り」に対抗して始めた祭りであるのだ。