11年目に「33」

グレッチ

思えば「NO FEAR」でヒートウェイヴに出会って、もう10と1年だ。ヒートウェイヴ山口洋)の音楽は、ずっと、「毎日のためのサウンドトラック」として私の傍らにあった。励まされることも多かったし、彼流に言えば「ケツの穴を」キュッとされたし、心臓を鷲掴みにされた。ヒートウェイヴを通じて、他のいい音楽や本や映画を教えてもらい、嗜好の幅が広がった。
そして、98年の「月に吠える」に「33」という曲があるが、今年末で私も「33」だ。
94年、私は愛媛の某有名大学の学生で、冬休み高知の実家に帰省していた。たまたま深夜のラジオ放送を聴いていたら、「ほんもののロックンロールがあるぜ。『不滅の地獄アワー』」(という感じ)のCMが流れた。その晩、午前3時までがんばって起きてることにした。
その回は友人のミュージシャンをスタジオに呼んでのセッション大会だった。多分魚ちゃんとか来ていただろうが、その当時はだれひとり名を知らなかった。
エンディングでディランの「ライク・ア・ローリングストーン」を演った時、モーレツに感激した。それは間違いなく「ほんもののロックンロール」だった。
しかし、ボケーっと聴いていたのか、そのDJが誰で、何というバンドのメンバーなのか、分からなかったので、CDを買い求めようにもその手段がなかった。当時はネットなんてない時代だったし、新聞のラジオ欄にも詳しくは書いてなかった。
「不滅の地獄アワー」はごく限られた地域でのオンエアだったようで、愛媛では流れてなかったし、高知でも、本来2時から4時までのところが、3時からの1時間だけのオンエアだった。だから、次に聴いたのは春休みに帰省した時であった。
その時が新譜「NO FEAR」の紹介の回だった。1曲目のイントロのリフに打ちのめされた。こういうギターを聴きたかった。それに彼の唄にはディランに通じるものを感じ取った。歌詞にも音そのものにもものすごく「絵心」を感じたし、「日本(語)のロック」の理想形だった。
発売されるとすぐに「NO FEAR」と、いっしょに「日はまた昇る」も買った。ちょっと遅れて「凡骨の歌」と「柱」も聴いた。ファンレターを書こうとしたが、照れ屋なのか、やっぱ止した。
「不滅の地獄アワー」は高知に帰る度に聴いた。幸運にも最終回は聴くことができた。
翌年店頭で「1995」を見つけて、佐野元春プロデュース(一部)なのでちょっと驚いた。彼の唄に元春に通じるものは感じていたが、やはり繋がっていたのだ。そして「満月」でソウルフラワーを知った。(その後ソウルフラワーに関しても熱い思いが続くのだが、それは次の機会にしよう)
その後、就職して岡山に行った。知らない土地での慣れない仕事で結構辛い日々だった。そんな中、97年の「TOKYO CITY MAN」が発表された。もうこれは完全に「サウンドトラック・フォウ・マイライフ」になった。勝手ながら、「私の唄」だった。ここまで自分自身と唄とを重ね合わせたことはそれまでなかった。「すべてはこれからさ ハレルヤ」
その当時ファンクラブにも入ってなかったので(今にして思えば、何故だったんだろう)全然情報がなかった。ロック雑誌で初めて山口のインタヴューを読んだ。
その記事から見える山口は、唄から想像した通りの人物だった。
これも今にして思えばなのだが、ライヴ行くべきだった、と思う。仕事の都合などで行けなかったのだろうが、どんな無理してでも行っておくべきだった。
初めてライヴに行ったのは98年の「月に吠える」のツアーだった。高知に帰って、ライヴ会場までは遠くなったが、無茶をするようになった。仕事も比較的休みの融通が利きやすいものに変えたし。
初めて観たライヴは想像していた通りのスタイルであったが、想像以上に素晴らしかった。ステージでの即興性など、やはりディランを感じるのだが、無論ディランのみではなく、壮大なロックの先人たちの姿も見えるし、でもやはり山口洋オリジナルであるし、空中に浮かぶ粒子を掴んで音に換えるというのか、そんな感覚もあって、ロックンロールというイデアそのものであると思う。
そのころ、ヒートウェイヴを通じて知ったアルタンを岡山へ観に行き、偉大なロックの先輩であるK氏に出会った。それまで自分のまわりでロック好きな人に恵まれなかったので、これは心強い出会いであった。
その後、「日々なる直感」を経て、ヒートウェイヴ活動休止、ほんとに嬉しくなるタッグチームであるヤポネシアン、やはり再び名乗ることとなったヒートウェイヴ名義での「LONG WAY FOR NOHING」から現在に
至るまで、「毎日のためのサウンドトラック」でありつづけたし、これからもそうであろう。それに、ヒートウェイヴを通じていろんな人とめぐり合った。2002年の神戸の宅配便で、スタッフとしては少しだけしか参加できなかったが、そこで初めて山口と話ができたが、感じられる人柄は、唄やステージなど彼の作り出す「表現」と同質の、とても魅力的なものだった。ロックミュージシャンなどを偶像化して崇拝するような行為は、あまり好きではないけれど、等身大の山口洋も彼の作品と同様にとても愛すべきものだと思う。
私がロックンロールを愛してるうちは、彼と彼の作品をずっと愛し続けることだろう。
「ヒリヒリする孤独を歌う 誰かの歌を愛している
明日になっても誰ひとり生まれ変わりはしないこの街で
金じゃない 名誉でもない この世に名を残すことでもない
我が道を行くだけさ 彼はホーボーマン」