こなくそ

kannou2010-11-29

 土佐に男児として生まれ、高知の城下の上町に育ったのである。今までどんなドラマでも、ちょっとした短い再現ドラマ程度でさえ、龍馬暗殺のシーンでは泣けて来た。それは条件反射である。沁みついているのである。実際、先週は予告編だけで、泣いた。
 ところが、大河ドラマ龍馬伝」の最終回では、泣けなかった。
 選挙速報のテロップが…、ではない。そんなことはどうでもいい。テレビなんだから仕方がない。
 11ヶ月間、熱心に見続けてきたドラマが、実はくだらんものだったんじゃないかと、疑念が浮かんで来た。
 劇中の半平太切腹ではなく、最後の史跡訪問コーナーの瑞山の墓を見てから泣けたことを思い出した。
 ドラマだから、脚色や創作が入るのはいい。弥太郎と龍馬が幼馴染でも、死の間際の半平太に龍馬が会いに帰郷しようと、それはそれでいい。スモーキーなフィルターをかけたような画面の質感は好きだったし、主役以外の役者は概ね良かったと思う。
 だけど、暗殺の場面は、慎太郎の証言に基づいて欲しかった。刺客が階段を駆け上がる音を藤吉がはしゃいでいるのと誤認し「ほたえな」と叫ぶ龍馬、というのはあるのだから、十津川郷士を騙った見廻組や乱闘中でも気を使って慎太郎を偽名で呼ぶ龍馬、慎太郎の方が自分よりも重症だと思い込み医者を呼びに行こうとする龍馬、があるべきだった。それらを排して泳げないことを告白する慎太郎と、襲撃後もその話題を続ける龍馬は、天然で豪胆なキャラクターとして描こうという意図だろうが、完全に外しているとしか思えない。「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」のラストで、オケヒットでなく放屁の音を入れるようなものである。
 大体、作中で慎太郎は穏健派寄り、長州の討幕姿勢とは温度差があるような描き方であったが、慎太郎は「戦の一字」飽くまで武断派で、しかし龍馬とは方法論に違いがあれども、固い友情で結ばれて、というのがいいのである。
 また、大胆に脚色をしながらも、ポロポロと史実のエピソードは散りばめてこそ、歴史好きは喜ぶのである。その点、「新選組!」の脚色は面白かった。本当は龍馬を守るという命令で近江屋に赴いた原田左之助が、時すでに遅く見廻組襲撃後であった悔しさに言い残した「こなくそ」という伊予方言を、意識が朦朧とした慎太郎が刺客の残した言葉と誤認し、その上左之助は鞘まで現場に置き忘れた、という脚色だった。事件直後に有力視された新選組実行説を踏まえてのことである。それは三谷幸喜が歴史が「分かっている」から出来た小粋な脚色である。今作に、それは望むべくもなかった。
 そう思っているうちに、今作での歴史のターニングポイントで加えられた脚色ないし創作が、どうしようもない蛇足に思えて来て、毎週楽しみに見続けてきた自分が愚かしくなり、取り乱して頭を掻きむしったら、大量の毛髪がコタツの天板の上に落ちた。
 上にも書いたとおり、雰囲気や主役以外の役者は概ね好きだったのである。もし私が、微々たる歴史の知識すらも持ってなく、素でドラマとして見たのであれば、これは最後まで楽しめたのであろうか。