詭計とパンダと独裁国家

kannou2009-10-26

 もう一カ月前のことになるが、妻と神戸に行ってきた。
 ひとまずは加古川の知人の駐車場に車を停めさせてもらい、新快速に搭乗。駅前商店街ベルデモールに「かつめし」を象ったマスコットキャラクターのモニュメントを発見。
 まずは、妻の趣味で兵庫県立美術館の「だまし絵」展へ。日曜なので人は多かったけれど、鑑賞に差し支える程の混雑ではない。
 アートに知識のない私のような人間にも充分に楽しめるテーマであった。
 それから王子動物園へ。パンダには初対面。その前に特別珍しくない動物たちを巡る。フラミンゴ、ウサギ、リス、ゾウ、レッサーパンダ、コアラ。
 コアラも今や珍しくない。だけど、王子動物園のコアラは、コアラは動かないというイメージに反して、キョロキョロしたりユーカリの葉を頬張ったり、パンダという大スターの周縁で霞むことを拒もうとするパフォーマンスが感じられて、パンダに「希少」という付加価値が付いていなければ、コアラだってけして愛らしさにおいては負けないと思った。
 そんな人気の序列は本当はどうでもよくて、色んな動物の見物を楽しみながら、心の中で少年ナイフの「アニマルソング」を鳴らしつつ、いよいよパンダ舎へ。初めてのパンダだ。噂通り、愛想はない。それでも珍獣の王らしく、貫禄の可愛さのパンダだ。
 動物園を満喫し、三ノ宮、そして元町へ移動。中華街で夕食。美味い店を選ぼうと勘を働かせてたつもりが、勘が空回りして結局、入った店は「餃子の王将倉敷笹沖店」の方がまだ上等といえる程度。それもまた良しと思うことにして私にとっては今日のメインである「ガンダムバー・アクシズ」へと向かう。
 「アクシズ」とは、ジオン公国が建造した小惑星を改造した宇宙要塞、軍事基地であり、当然に入店時には「いらっしゃいませ」ではなく「ジーク・ジオン」と声をかけられ、それに対して客は「ジーク・ジオン」と応えなくてはならず、ジオン式敬礼も忘れてはならない。
 元町のアーケード商店街の中の2階にあるその店に足を踏み入れた時、覚悟はしていたつもりでも、その一連の儀式に照れを憶えずには居れず、おっかなビックリであった。
 壁には何枚ものポスターが張られ、大画面テレビではガンダムの映像が流れ、カウンターや棚には無数のガンプラやフィギュアが並べられている。でもバーテンの衣装はジオン軍服ではなく、普通のバーテンダーらしかった。
 「アクシズ」の名を冠し、巨大なジオン公国旗も掲揚されているが、店の姿勢も客層もザビ家の信奉者ばかりという訳ではなく、「ジークジオン」も皆が皆、本気で「ジーク」ということでもない。もし、店が地下にあったなら、その名は「ジャブロー」になっていただろう。
 メニューにはガンダムに関する名前がつけられており、カクテルでは「テム・レイの回路」や「ソロモンの悪夢」「ハマーン様から貰った薔薇」など、フードは「バスク・オム・ライス」「軟弱者へのチキンライス」「タムラ料理長のハンバーグ」など。
 特にカクテルに関しては、名前から内容を察するのは相当のガンダムマニアでも難しいのだが、メニューには詳細は載っておらず、「軍事機密」らしい。しかし、尋ねれば教えてくれる。ちなみに「テム・レイの回路」はその時々によってかなり無茶苦茶に作るらしく、不味ければ不味いほどいいらしい。
 1杯目、妻は「アッガイ」を、私はノンアルコールの「ガルマ散る」を頼んだ。
 妻にカウンターに並べられたガンプラを指して「これは『ジ・オ(The O)』と言って、股間の隠し腕がチャームポイントで、大柄な割に敏捷なのは各部に多数のバーニアがあるのとバイオセンサーによって操縦追従性も高く、これを独自に開発したシロッコという男はあり得ないくらい天才なんだけど、結局何がしたかったかも理解不能」と解説しているところへ、カクテルが出来上がって来た。
 「アッガイ」に関しては「体育座りのアッガイは近頃かわいいと女性人気もでてきましたね」とごく普通であったが、「ガルマ散る」をテーブルに置く際にバーテンは『機動戦士ガンダム』第10話「ガルマ散る」のガルマ戦死の場面を再現し始めた。
「う、うわー、どうした」
「後ろから攻撃を受けました」
「後だと」
「木馬です。木馬が後から」
中略
「ふふふ、ガルマ、聞えていたら君の生まれの不幸を呪うがいい」
「何、不幸だと。シャア、お前は」
「君はいい友人であったが、君の父上がいけないのだよ」
「シャア、謀ったな、シャア」
中略
「私とてザビ家の男だ、無駄死にはしない」
中略
ジオン公国に栄光あれー」
と。
 その再現度はかなり忠実で「ジオン公国に栄光あれ」と叫びつつ散って行くガルマがその脳裏に浮かべたイセリナの姿までが見えるようであった。
 いくつかのカクテルは、その名が印象的な場面より取られたものであれば、それを再現しつつテーブルまで運ぶというシステムであったことを、この時知った。
 ノンアルコールカクテルのメニューには他に「ラクス・クライン」と「ミーア・キャンベル」というのもあり、『ガンダムSEED』はけして好きではないけれど、この2品の味比べをしたいという思いもあったが、「若さ故の過ち」をオーダーした。妻の2杯目は私の勧めで「ハマーン様から貰った薔薇」であった。
 そんなうちに、どんどん客も増えてきて、満席近くになり、「ジーク・ジオン」の連発であった。入店者がある度に我々を含めた先客たちも声を合わせて「ジーク・ジオン」を唱和し、これに対する気恥ずかしさはもうとっくになくなっていた。
 大画面の液晶テレビでは、来た順に客のリクエストに答えてガンダム各作品のDVDを流していたのだが、大繁盛の店内ではもうそんな余裕もなくなり、リュウ・ホセイが戦死する第21話 「激闘は憎しみ深く」から第23話「マチルダ救出作戦」までが流れっぱなしであった。次は私の順番で、まだレンタル屋では新作であったため見てなかった『機動戦士ガンダム MSイグルー2 重力戦線』の第2話「陸の王者、前へ!」をリクエストしようと思っていたのだが、仕方がない。それにGファイターも悪くはない。
 思えば、一年戦争は、総人口の約半数と言われる人類史上最大の犠牲を生んだ訳で、それをザビ家の独裁のために行ったジオン公国の戦争目的は、けして肯定されるべきではない。
 だが一方で、地球連邦の対宇宙市民政策は強権的かつ搾取的で、スペースノイドアースノイドの軋轢が戦乱を生むことも、やはり避けられぬことではあったと思う。惜しむらくは、スペースノイド独立運動を変質させたザビ家、とりわけギレン・ザビという男の台頭がなければ、あるいはジオン公国が他サイドへの虐殺という暴挙に出なければ、戦争は起こりえたとしても、その様相を変えたのではないかと思う。尤も、一年戦争勃発の時期は各サイドとも事実上、地球連邦宇宙軍の兵站基地をして機能していたのであり、ジオン公国の戦略としては、道義的是非を置くならば、各サイドへの攻撃は取られるべき選択肢ではあった。ジオン公国にとっては、各サイドが同調するまで待つ時間もなかっただろう。そもそもギレン・ザビの理想は全地球圏への独裁であり、スペースノイド自治確立は乗っかった方便に過ぎないのであるし。
 さらにIFを言うなら、ザビ家の台頭がなければ、ジオン・ズム・ダイクンの思想を正当に継承する者は続いたはずであり、地球圏は時間をかけつつも自然とスペースコロニーを中心とした体制に移行したのではないか。ただし、革命思想というものは得てして過激に走るものでもあり、サイド3の公国制への移行は、事実国民に熱烈な支持を受けてのことである。
 また、劇中、地球連邦の体制は「絶対民主主義」と呼ばれているが、その詳細は判然とせず、どうやらかなり軍部主導で、シビリアンコントロールは存在しない、あるいは形骸化されているようで、現代の我々が考えるところの「民主主義」とは違う政治システムのようだ。これは一年戦争緒戦のコロニー落としジオン公国軍の地球侵攻のための混乱によるものなのかもしれないが、少なくとも戦後も続いているようであり、そもそも国民の大部分が宇宙居住者となってもスペースコロニーに本格的な自治権を認めない体制というのは、民主主義とは言えないだろう。
 ところで、後にネオジオンフル・フロンタルが掲げた「サイド共栄圏構想」こそは、当初の「スペースノイド自治権確立」というジオニズムの目的から見て至極真っ当であり、フル・フロンタルの真意は多分違うところにあるのだろが、構想としてそれは妥当かつ実現性も高いものであると思うけれど、それまでのザビ家ともハマーン様ともシャア・アズナブルとも異なるヴィジョンを持っているはずのミネバ・ラオ・ザビが何故あんなに拒否反応を示したのかは理解できない。『機動戦士ガンダムUC』の最終巻はまだ読んでいないので、何とも言えないけれど。でも、月は同調しないよな、多分。
 とか、考えながら、周りの客を見てみると、我々のように、カップルにしろグループにしろ、ガンダムについて熱く語る者、多分ガンダムに詳しくはなくて聴くのに徹する者といった役割に自然に分担がなされていて、いい空間だなあって思った。30代も20代もいたけれど、リアルタイムでガンダムの洗礼を受けた我々30代後半は、それを誇っても誇りすぎることはない、と思った。
 そんなうちにいい時間になったので、店を出て、また新快速で加古川、愛車旧型vitzを拾って倉敷へと深夜高速を走った。