『アメイジング・ジャーニー』と『シャイン・ア・ライト』

kannou2008-12-02

 あれからもう2週間以上経つのだが、いまだに気持ちが冷めず、同時に、ライヴというものは儚いものだと寂しい思いも禁じ得ない。
 ところで、映画『アメイジング・ジャーニー』は岡山では上映される気配すらない。というより、主要都市でも上映期間は短いようだし、広島ですら公開されないようだ。DVDは買うんだけど、やはり劇場で大きい音で観たいものだ。今度のユニオンのライヴで大阪には行くのだが、シネ・リーブル梅田では11:30からと、早すぎる。行きまで新幹線に乗るお金はない。今でも、本邦ではフーの扱いはよくない。
 一方、ストーンズの『シャイン・ア・ライト』。こちらは上映館も多い。岡山でも遅れてやって来そうな気はする。無理に大阪で観なくてもいいかなとも思う。
 ストーンズは今まで5回来日した。それなのに私は1回も観ていない。
 90年の初来日はまだ高校生で、95年は大学生であった。四国から東京や福岡まで出て行くというのは当時並大抵のことではなかった。それは仕方がない。
 次の98年から大阪ドームでの公演が入るのだが、『ブリッジ・トゥ・バビロン』がつまらなかったというのと、高いチケットに大阪までの交通費で浪費するよりはユニオンやヒートウェイヴなどの「本当に旬な(笑)バンド」を観に行って、ヴィニール盤を漁る方がずっと賢明だと考えた。3月だったので、ユニオンと時期が近かったのかもしれない。だけど、「レコード・コレクターズ増刊 STONED!」は購入しているし、一番熱心にストーンズを(しかもヴィニールで)聴いていた頃のはずだ。ひねくれていたんだな。
 ちなみにこの時の大阪ドームに、妻は行ったらしい。ストーンズの話をしようとすると、
「観たことない奴が偉そうなことをいうな」
と言い、「ブラウン・シュガー」でミックと一緒にジャンプしたことを聞かされるが、彼女はストーンズの全アルバムはおろかビル・ワイマンの名前すら知らない。
 03年の『フォーティ・リックス』のツアーの時に行かなかったのはなぜだろう。多分、来日が当たり前になり過ぎた観があり、次にまたと思って見送ったのだろうか。まったく愚かであった。
 06年の『ア・ビガー・バン』ツアー、この時は新譜も非常に気に入り、セットリスト半分新曲でもええわ、くらいに思ったのだが、大阪が外されていて、名古屋は遠すぎると涙を飲んだのであった。
 今こうしてひとり反省会をしてみると、5度ものチャンスを逃したのはすべて私の熱意の足りなさ故であり、恥ずかしい限りである。
 余談であるが、『レコスケ』に『ア・ビガー・バン』ツアーの時東京ドーム公演を寺田正典レココレ編集長いっしょに観に来ていたレコスケの前にブライアンの幽霊が下りてくるというネタがあって、素晴らしかった。「サディスファクション」を「この曲まだ演ってるの?」と言っていたが、レコスケiPod(この機械なんだ?)で聴かされた「バック・オブ・マイ・ハンド」のブルースっぽさを「いいね」と言っていた。それ以来、ほんとうにブライアンがそう言っているような気がしてならない。
 そんな訳で、今『ブリッジ・トゥ・バビロン・ツアー』のDVDを借りて来て観ている。妻が大阪で行ったツアーの時のものである。(収録はシアトル。)
 「違うんだよ、ダリル・ジョーンズ」とか言いながら。
 前にズボンズのドン・マツオが「俺がストーンズをプロデュースするとしたら、まずはビルを呼び戻すことから始める」と言っていた。それは皆、思うことだろう。バンドへの貢献が最も少なかったように思えるビルも、やはり欠かせない存在ではあるのだ。
 ウィキペディアによると、ビルは、実はストーンズの中でも最強の「性豪」らしい。
 「ライク・ア・ローリング・ストーン」が本格的にセットリストに加えられたのは多分このツアーからだと思う。ミックは
「ディランが俺たちのために書いてくれた曲」
と言っていた。笑えた。
 このDVDにはMCに字幕が入っているのだが、「ホンキー・トンク・ウーマン」の前のMCでミックが
「よっしゃ、いくぜよ」
と言っていた。早い時期にCD化されたタイトルには昔の対訳がそのまま付いていて「珍訳」も多くあったが、そんな雰囲気をここで再現しようと試みたのだろうか。それとも、ミックも龍馬ファンなのだろうか。ミックなら、司馬遼太郎が作った実在の龍馬から離れたイメージしか持ち合わせていなくても、許せる