頭のお皿も渇いてきました。あるいはブルーマンデー!

 河童の頭には皿があって、それが渇いてくると死ぬ。もう疲れた。私の皿も渇いてきた。渇水の時の早明浦ダムみたい。
 四国外の人は早明浦ダムといってもピンと来ないかもしれないが、四国渇水の時にニュースで流れるあのダムである。湖底から姿を現わした元役場が痛々しい。四国一の巨大なダムである。
 早明浦ダム高知県にあるので、高知も渇水であるように思われることも多いのだが、雨が多く、北に四国山地がそびえ、川も多い高知は水不足になることはめったにない。早明浦ダムは、高知県に源を発し徳島方面に流れる吉野川水系のダムであり、水利権は高知にはほとんどない。所在地の土佐町、本山町は山間部で雨も多そうなところなのだが、なぜ毎年毎年貯水率がピンチになるのか、私には分からない。ただし、台風でも来れば一発で満水になる。
 雨が少なく、大きな川もない香川にとって、早明浦ダムから回される香川用水は大変貴重なものであるが、水を巡っての徳島と香川の対立はとても深い。「四国はひとつひとつ」といわれる所以である。詳しくは↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E6%98%8E%E6%B5%A6%E3%83%80%E3%83%A0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E5%B7%9D%E7%94%A8%E6%B0%B4
 香川とほぼ同じ気象条件であるはずの岡山で渇水が起こらないのは、北に中国山地があり、旭川、吉井川、高梁川、阿知町の用水路といった大河が多いためである。
 初めて高知を離れて県外に住んだ学生の時、雨の降り方がショボいのに驚いた。岡山に住んでいる今も「雨がぼっけー降りよんじゃー」などと誰かが言っているのを聞いて「へっ、甘いぜよ。この程度の雨らぁ大したことないぜよ」と心の中でつぶやく。雨粒の大きさが違う。岡山に来てから私は「こぢゃんと降りゆう」なんていうべき状況に当たったことはない。浸水の心配をしたこともない。ただし、昨今はいわゆる「ゲリラ豪雨」というやつがあり、日ごろ雨が少なく、洪水を意識していない都市の方がいざという時危険かもしれない。
 ところで、岡山の観光キャッチフレーズは「晴れの国おかやま」であるが、これは「日照時間が多い」からではなく「降雨のない日が日本一多い」ということを根拠としている。岡山は寧ろ薄曇りの日が多いようにも思うのだが…。
 話が逸れたのだが、頭の皿が渇いてきたのである。
 今日は休みであったが、いつものごとく休日の一日はあっという間に終わった。『スタートレック』などで「時空連続体」の異常により時間の進み方にムラが出たり同じ時間が繰り返されたりする、というネタが『水戸黄門』の「贋黄門」ネタ並に繰り返し使われるのであるが、何者かの意図によりそんな現象が私の周りに故意に起こされているのではないのかと考えられるほど、休日が過ぎるは早い。
 「サザエさん症候群」というものがあって、「日曜日の夕方〜深夜、特に日曜日の夕方6時30分からフジテレビで放送される『サザエさん』を見た後、翌日からまた通学・仕事をしなければならないという現実に直面して憂鬱になり、体調不良や倦怠感を訴える症状の俗称である」(ウィキペディアより引用)
 私の場合は日曜が休日ではないが、翌日からの仕事が意識されて同様の状態になる。いや、『サザエさん』の時間帯ではなく、『ピンポン』で真面目なニュースのコーナーが終わり、大嫌いな福澤朗の司会でワイドショー的な内容になる正午から、私は貴重で神聖な時間の残り少なくなっていくことを思い、憂鬱になる。
 特に今は特殊な状況にあり、通常よりも肉体の疲労が激しい。ではその替わりに精神の疲労が減っているのかといえば、けしてそうではなく、私の疲労は満遍なく私のすべてに沁み渡っていて、それはたった一日では返上できない。その上、特殊な状況のため、報告書だの議事録だのミーティング資料などを休日に自宅で作るより他ない。もっと本が読みたい。お皿が渇く。