若さ故の…

ギャンくんとビグザムくん

 昨日の日記でMSV(モビルスーツ・バリエーション)のことを書いたので、ついでに幼少期のガンダムの思い出について。
 前にも触れたが、79年に小学1年でガンダム本放送を観た時のことを憶えている。なんか訳分からんし盛り上がらなくて変なアニメだなあと思った。合体はするのだけれど、戦闘機と上半身と下半身だけの地味なものだし、決めポーズも必殺技もなく、「悪役」のロボットが1種類しか出てこないし、登場人物の言っていることの意味が分からない。新しいものは感じたけれど、子供心には響かなかった。やはりキャラクターの台詞回しへの違和感が一番大きかったと思う。
 なお、民放が少ない高知では、確か土曜の朝7時台に週遅れで放送していたと思う。学校に行く前の時間帯なのでテレビは点けていたが、集中しては見てはいなかった。
 なのだけれど、クローバー社のガンダムの玩具は買ってもらった。分離はしないスタンダードの廉価版だ。特に好きではないアニメの、何故それが欲しくなったのかは分からないが、よく遊んだ記憶はあるから、デザインだけは気に入ったのかも。ただし、クローバーの玩具ガンダムは「本物」とはまったくかけ離れているのだが。もうひとつ思い出したが、Gアーマーとセットのデラックス版が出たというCMを見た時はかなり欲しいと思ったような気がする。でも、アニメ自体を熱心に見ていなかったのは間違いない。
 余談であるが、前番組の「ダイターン3」も前々番組の「ザンボット3」も後番組の「トライダーG7」も放送していなかった。高知でテレビ東京系のアニメをするのは非常に珍しい。もしかして、再放送時期と記憶が混同されているのかとも考えてもみたが、実際クローバーの玩具を買っている事実がある訳で、再放送時なら玩具に違う印象を持っているはずだ。
 玩具を買うことで多少の貢献はしたのだが、作品に対して持った印象は、当時の小学低学年として典型的であったのではないかと思う。周知のように、ガンダムは視聴率の低迷(ただし、高年齢層いわゆる黎明期のオタク層には大いに受けていた)と玩具の売れ行き不調で、予定話数を切り上げて打ち切りとなった。放送終了後にバンダイが発売したプラモデルから低年齢層にも火がつき、再放送さらに映画化となる。
 なお、クローバーの玩具を買った少数派のガキであった私だが、今もそれを持っていたとしたら、プレミアがついていただろうに。クローバーはガンダムという素材を既存の玩具的なマーチャンダイジングしか出来ずに、83年ブームの最中その恩恵を受けることなく倒産するのである。
 ガンプラとともにブームが到来する訳だが、劇場に足を運んではいなかった。不思議なことに、同じく打ち切り後に映画化された「伝説巨神イデオン」は観に行ったのだが、当初はガンダムブームには乗らなかった。テレビで昼の帯番組として(多分)再々放送がされた4年生の夏休みが初めてだった。それはイデオンの映画公開よりも後だった。ガンダムよりイデオンが先というのは、少し変わった経歴かもしれない。といっても、それに深い意味はないと思う。工作が苦手だった私は、プラモデルに対して取っつき難い意識があったからプラモデルと不可分(のように思われた)ガンダムとは距離を取っていたのかもしれない。初めて作ったガンプラは1/144ゴッグだった。何故、ゴッグを選んだのか?夏休みだったからか?(ゴッグは水陸両用モビルスーツだ)ガンダムやザクは人気があって品薄だったのだろうか。それは分からないが、作ってみたらどうにか作れた。無論、色は塗っていない。プラモデル用の接着剤があるのを知らず、モデル付属のチューブ型接着剤がなくなってからは瞬間接着剤を買ってくっ付けたものだ。付属の接着剤がすぐなくなったのは多分付け過ぎたのだろうから、接着剤がはみ出したり指紋がついたり、酷い出来だっただろう。「継ぎ目消し」なんて言葉も知らなかった。ただし、そこでプラモデルに対する食わず嫌いは払拭され、私もついにガンダムブームへ巻き込まれていくのである。
 余談であるが、ガンプラを初めて作る前から、アオシマの合体シリーズなど、簡単なプラモはよく作っていた。ガンプラはそれに比べて敷居が高いように思ったのである。
 余談が続くが、イデオンについてはその後、熱心に見てはいない。好きかと言われれば好きであるし、ストーリーはほぼ憶えているのだが、キャラもメカも名前があまり出てこない。ザンザ・ルブとかガンガ・ルブとかぐらいだ。ガンプラ初体験後、イデオンのプラモも作っただろうけど。おそらくはイデオンは続編が作られず、見返す機会が少なかったからかもしれない。見返したいとはずっと思っているけど、今はもう重すぎる。
 で、苦手意識が払拭され、ガンプラをせっせと作り始める。雑誌はずっと「コロコロコミック」派であったのだが、ガンプラ作例やテクニックが載っている「コミックボンボン」にシフトし、色塗りや改造なども覚え始める。とはいっても、当時はまだ水性塗料は普及してなく、ペン式のマーカーなんてのもないし、色を揃える金もなく、第一にテクもないので、設定通りに彩色することなど無理無理であった。
 そんな時に、「リアル・タイプ」というシリーズが発売された。これは、プラモ本体は既存のものとまったく一緒で、パッケージとプラスチックの地の色を変えて、デカール(シール)を付けただけの商品であったのだが、箱に付いている作例の写真が、ミリタリー色の濃い、現用兵器の配色に近いような雰囲気で、デカールも実在しそうな注意書きや所属部隊のマーキングなどで、実際リアルに感じられたものだ。箱の作例も寒冷地迷彩は白基本だったり、アフリカ方面軍は砂漠迷彩だったり、何種類か載っていて、必ずしもアニメの配色通りに作ることが唯一の道ではないと教えられた。
 しかし、多くのガキはこれを曲解した。暗い系の色なら何色でもいいのだと。実際、ガンダムなど色の多いモビルスーツをアニメ通りにキチンと塗り分けるのはかなり難しく、私など、これに救いの道を見た。
 また、改造といっても、本来は設定からかけ離れたプロポーションを矯正したり、イマジネーションの翼を広げ「砂漠で使われるザクには現地改修でこんな仕様のものもあったんじゃないのか」とか、如何にリアリティに則るかを考えるのだろうが、ガンダムにザクの足をくっ付けて「ガンザク」とかビグロのボディにザクの頭と腕をくっ付けて「ザクロ」とかいい加減なものであった。
 尤も、ちゃんとプラモデルの何たるかを理解して作っているガキなんて当時皆無であったと思う。
 世界観にしても、勧善懲悪ではないことは解っていてそこに魅力を感じつつ、ニュータイプという概念やミノフスキー理論などのSF考証的な部分は理解していなかったのは間違いない。段々と、学年が上がるにつれて、それは捉えられるようになってきた。
 モビルスーツ・バリエーションのシリーズが発売され始めたのは5年生の時だったと思う。アニメには登場しなかったが、宇宙世紀の世界で存在した、モビルスーツのマイナーチェンジバージョンがプラモデル中心に展開された。ジョニー・ライデンなどのエースパイロットの設定もここで練られて、広まっていくのである。
 「アニメに登場しなかったが『実在』したバリエーション」この設定に震えが来る者はガンダムに呪われるのだ。
 でも、小学高学年の私はもうそんなにプラモは作らなくなっていたように思う。他に何が興味の対象であったのかは憶えてないが、MSVのプラモ自体にはそんなに深くは入り込まなかった。
 続編のアニメの「機動戦士Ζガンダム」が放送された時には中学1年だった。ガンダムへの興味も戻り、いくつかプラモも作り、そして「狂気」のような変改造や無茶苦茶な色塗りはしなくはしなくなっていた。「Ζ」は一作目よりもさらに話が複雑ではあるが、それも年齢的に概ね理解できた。
 いくつか作った内で、自己の傑作は、何故か「1/144ザクタンク」であった。MSVで発売されたキットであったが、「Ζ」にもエキストラ的に出て、パッケージをリニューアルして再発されたものだった。物語前半の主役機の「1/100ガンダムMk.Ⅱ」も作ったのだが、全然上手くできなくて、ザクタンクだけは見事に仕上げられたのだった。
 最初の半年、「Ζ」は熱心に見ていた。でも中学生にもなると、早い奴は喫煙飲酒をしたり、部活に打ち込んだり、オナニーをしたりで、アニメを見るなど、多少格好悪いことであるという風潮が支配的になってくる。いわゆるオタクを指して「オタク」と呼称するのはまだ一般的でなく、「オタク」という言葉自体が、「オタク」コミュニティ内での自身らを指す自虐的ニュアンスを含んだ「オタク用語」であったと思う。逆に「オタク」という概念が定着している昨今の方が、オタク的サブカルチャーにとっては居心地がいいのかもしれない。
 そんな風潮に流された訳では決してないが、当時私はガンダムから離れて、「Ζ」後半は見たり見なかったりだった。ちなみに「ΖΖ」は高知では放送されなかった。
 その後、中学3年の時に「逆襲のシャア」が劇場公開され、しかしそれは観に行かず、レンタルビデオで観た。「ポケットの中の戦争」も「F91」もリアルタイムでは観なかったし、プラモも作ることはなかった。次にガンダムを再び意識し始めるのは大学生の時である。(意外に、初めて劇場に足を運んだ劇場版ガンダムは05年「Ζ星を継ぐもの」だった)
 それまで、私は何をしていたのだろう。高校の時は、ロックンロールという悪いものを覚え、ギターを弾いたり唄ったりしたのだが、中学2年からは何に心奪われていたのだろう。ガンダムとはまったく疎遠だったのか。そんなこともないと思うが、10歳以降の私の人生の中で、おそらく唯一のガンダムについての空白期間になるのだろう。
 今現在、家には作ってないガンプラが3つある。1/144HGUCガンダムと同じくガンキャノンとグフである。買ったきり、何年も放っぽり出している。
 プラモデルの技術は進化し、プラスチックの地の色が多色成型され塗装しなくても設定の色に近く仕上がり、また継ぎ目も目立たないパーツ構成になり、関節の可動範囲も広がった。私のような不器用が作っても十分に形にはなる。それでも作るのが面倒な人のために、完成品のフィギュアも多数ある。
 無論ガンダムに限ったことではないのだが、作品論的にも作家論的にもビジネスモデルとしても、キャラクター論、メカニック、戦史論、多方面から語りつくせぬ源泉がガンダムにはある。
 ガンダムの初放送を見た「少数派」の中に、永く残る作品であると考えた人の割合は高かっただろうが、30年も続く「ビジネス」になると思った人はいなかっただろう。何より、30年後の自分がまだガンダムを見ているとは何たることか。この呪いは、解けることはないであろう。