地獄の石ノ森ウィーク

ロボット刑事風

 ザ・バースディのライヴDVDがアウト。買ったけどまだ途中までしか観れてない。何故ならこの1週間はBS2にて「とことん!石ノ森章太郎」という企画があった。
 7夜に分けて、
「ライダー誕生」
「孤高のヒーロー(キカイダーロボット刑事など)」
「愛すべきヒーロー&ヒロイン(ゴレンジャー、ロボコンズバットなど」
「SF&ファンタジー幻魔大戦など)」
「大人たちに向けて(佐武と市捕物控スカルマンなど)」
「未完の大作・サイボーグ009
仮面ライダーシリーズよ 永遠に」
http://www.nhk.or.jp/tokoton/index.html
と、日替わりのテーマで、映像作品の放映と関係者のインタビュー、唐沢俊一島本和彦井上伸一郎名越康文出渕裕など博覧強記のゲストたちのトークで構成される企画であった。
 石ノ森の関わっていない平成ライダーも取り扱うのには最初疑問があったが、彼の志を受け継いでいることには間違いなく、実際私も好きな作品は多々ある。ストーリーや設定の破綻を問題に感じつつも、どれも好きだったりする。
 昭和のライダーは整合性どうこうのレヴェルではなかったが、そんなもの何処吹く風の勢いがあった。「迷走の連続」とも言える平成のライダーも、実は「新しいものを作ろう」という志ゆえの迷走であり、どちらも見る者を惹きつけるパワーの源というのは、同質のものを持っているとも言える。それは石ノ森イズムというべきものだと思う。死後も作られ続ける平成ライダーにもそれは受け継がれている。
 最終夜のゲストにV3〜アオレンジャー〜ビッグワン〜ズバットを演じた地球を代表するヒーロー俳優宮内洋と、近作(と言ってももう5年も前だが)の「555」の半田健人がいた。半田健人が主演作以外のライダーに対してまったく知識がなかったのには当初、非常に残念な思いがした。しかし事情を知れば、「555」の「新しいヒーロー像を創る」という趣旨の下、あえてヒーロー物への拘りのない半田健人を選んだことが、「555」主人公の乾巧のキャラクター構築に非常に奏功していたと思えるようになった。「555」という作品は、良作であったが失敗した部分も多かった、と思う。でも、乾巧をはじめとする各キャラクターとその関係性という部分は秀逸であった。もしヒーローオタク的な俳優であったら、ああいう風にはならなかっただろう。(余談であるが、2夜と4夜のゲストであった精神科医名越康文が555について語るのを聞きたかった)
 逆に宮内洋。現人神ならぬ「現人超人」ぶりは健在であった。第一夜のゲスト藤岡弘、がどこか躊躇いに近いものを漂わせつつ、司会者の依頼を断りきれないような体でラストに変身ポーズを取ったことと対照的に、ポーズを決めながら登場し、衣装は風見史郎そのままであった。ヒーロー像の自論をいつもの如く展開し、平成ライダーへの疑問符も隠さず口にするところが、強烈な自負を感じさせる。
 宮内洋半田健人、或いは風見史郎と乾巧、この二人が相並んだという事実それだけでも、とても重要な出来事であると思う。
 半田健人には前にも触れた。
http://d.hatena.ne.jp/kannou/searchdiary?word=%c8%be%c5%c4
 やはり知的で魅力的な人であった。
 その他「キカイダー」の漫画版が「そんな展開だったのか!」と早速単行本を捜し求めたり、実家にある「009」をもう一度読まねばと思ったり、食わず嫌いだった「009」アニメ版第3シリーズ(2001年)も見落としていたことに気がついたりと大変な1週間だった。それでも、まだHDD録画したすべては見ていない。トータル30時間もあるのだ。
 以前は私にとって、石ノ森章太郎は幾多のヒーロー番組の原作者とい捉え方が一番主であった。しかしやはり彼が一番凄かったのは漫画という表現手段であった。自身それを「萬画」と称した。もっと読まねばいかんなあと思った。
http://d.hatena.ne.jp/kannou/searchdiary?word=%a5%e9%a5%a4%a5%c0%a1%bc%a5%de%a5%f3%a4%cf%c2%e7%bf%cd%a4%ce%cc%a3
http://d.hatena.ne.jp/kannou/searchdiary?word=%ba%c7%b0%ad%a4%ce%b0%ad%bf%cd