聞け大学デビューのモテ話

竹富のシーサー

 夜、妻と「倉敷春宵あかり」を観に行く。美観地区内で提灯(もちろん中身は電灯だが)や蝋燭を灯し、薄暗がりに奥ゆかしいあかりがチラチラして風情ある街であることをアピールしようというイヴェントである。
 日のあるうちは暖かかったが、夜間は冬の残り香のような冷え込みだった。美観地区のそちこちであかりがチラチラしていた。観光客らしいのが多かった。地元民っぽいのも多かった。
 美観地区すぐ近くの沖縄料理屋「波照間」で晩ゴハン。近頃沖縄民謡がヘヴィ・ローテーションであったのでタイムリー。ちなみに、石垣、竹富、西表には行ったけど、波照間島には行ってない。
 店内に流れていたのはビギンだった。大工哲弘さんのCDもあるのを確認したが、かけてくれとは言えず。
 ソーキそばやゴーヤチャンプルーなど定番中の定番を注文し、食す。また沖縄に行きたいなあとかでも本島よりは八重山の方が合ってるなとかしかし竹富島ってところは本土から渡って来た「自分探し」な若者が沢山住み込んでいてでも「自分探し」っていう陳腐な用語は馬鹿まるだしだけど心情は分かるし俺も学生時代に足を踏み入れていたら恐らく本気で移住を考えただろうなとかいや大人になっても移住したい気持ちは強くあるとか本島の国際通りにあったオバァの大衆食堂は安くて旨かったけど観光ガイド本などに混じってしっかりと先の戦争のことを書いた本も何冊かあったことなど考えながら食べた。イラクやアフガンへ沖縄の基地からも派遣されただろうことも考えた。
 沖縄を思う時、琉球王国への侵略や戦争被害、基地問題など、「日本」が沖縄に及ぼしつづける「負の歴史」を考えずにはおれない。そしてそのことなくしては不誠実な関わり方であるようにも思える。
 近くの席に男一人女三人の若いグループが座っており、大きい声で話していたので内容がまる聞こえであった。この三月で大学を卒業するらしい。若者を見ると率直に羨ましく思うようになったのは何時からだろう。だけど四月から会社員だそうだ。ようこそ、欺瞞と搾取の世界へ。
 そのうち話題が恋バナになり、その男のモテ話になった。十三人の経験と、如何に自分が惚れられていたか如何に無情なふり方をしたかを、おそらく本人思うところはクールに、語りに語っていた。聞かなくても耳に入る。
 我々は笑いをこらえ、妻は「振り向いてもええか?」と、どんな顔かを確かめたがった。
 私の席からは彼の顔がよく見えた。ホスト系やチャラい感じではなく、むしろ勉強はよく出来そうで、多分国立岡山大の学生だと思われ、頭でっかちっぽくてソウルフラワーユニオンというバンドのファンによくいそうなタイプだった。つまりモテそうなタイプではない。
 そんな面白いシチュエーションと旨い料理を堪能し、その後はイオン倉敷へ。閉店間近のタワレコに駆け込みソウルフラワーユニオンのレアリティーズとミュートマスというニューオリンズの新人バンドのレコ(CD)を購入。ミュートマスは、店もプッシュしていて、この前試聴機で聴いてから気になっていた。意を決して購入に踏み切った。試聴機で衝動買いしたものは往々にして、家で落ち着いて聴いてみるとハズれということがあるので、ひと息待ってみたのだった。ニューオリンズ出身といっても、全然それっぽくはなくて、オルタナ的で音響入ってる感じ。スタジオで何かややこしいことをいっぱいしてそうな音だが、本領はライヴにあり、らしい。
 家で落ち着いて聴いてみると、やはり試聴機の時ほどモーレツに感動はしなかった。特にいいヘッド
フォンを使っているわけではないが、何故試聴機は良く聴こえるのだろう。でも悪くはなく、しばらくは愛聴盤にはなりそう。
 ところで、近頃は音楽を聴く時には専らiPodで、極端な話、CDを買ってもターンテーブルに載せることもなく、インポートすれば二度と手に取ることはないということも多々ある。(ただしライナーは見るが。)依然、盤は手元に持って置きたい派ではあるが、自分の変化に驚く。今ではアナログを聴くことはほとんどない。これは世間一般的なことで、CDやMP3などを使うDJキットも増えて来て、アナログ盤を使わないDJも多いらしい。90年代には、80年代に減ったアナログのプレス枚数も増加に転じ、DJでない人の間でもちょっとしたブームになっていたのに。
 でも何で世間では「レコード」と言えばアナログ盤のみを指す言い方のようになっているのだろう。
 何故今頃になってキューン時代のユニオンのレアリティーズが出るのだろう。契約枚数が残っていたとも思えないし。何にせよ、ウチのPCは縦置きで、8cmCDをドライブに入れることができない構造なので、「向かい風」のB面の「外交不能症」のライヴヴァージョンが取り込めるようになってうれしい。「世界市民〜」のシングルもずっと探していて見つからなかったので、「テル・ママ」が聴けてうれしい。そして「さすらいのカッパ」だ。曲名だけは「NO GURU」などの記事で知ってはいたが、私がライヴに行くようになった96年秋以降はすでに演らなくなっており、私にとっては「まぼろしの曲」であったので今回のデモはうれしい。もしかしたら曲名を変えてすでに録音されているのかもしれないとも思っていたが、違っていた。「満月〜」のデモと同時期のデモなのでおそらく96年前半には演っていたのではないだろうか。「エレクトロ〜」収録曲に対して、確かに違和感はある。近年の作風(神頼み、うたは自由を、ラヴィエベル路線)の萌芽であるようにも思える。いずれにせよ、隠された名曲。ユニオン版「ブラインド・ウィリー・マクテル」と言えば、言い過ぎか。
 沖縄を思うようになったのも、ソウルフラワーの影響は大きい。いや、ソウルフラワーに出会わなくとも、沖縄の音楽を聴くようにはなっていただろう。(そうすれば逆のルートでもってチャンプルーズや平安さん、大工さん経由で、ソウルフラワーにも行き当たってはいただろうが。)
 先日リリースのDVD「ライヴ辺野古」については、音も悪いしカメラワークも如何にも素人っぽい。当初はリリースする予定はなかったもので、少なくともファンに向けては辺野古の基地建設阻止行動の現状を知らしめようとする意思が見える。
 「記録」としてこれは重要であり、「作品」としても見るべきものになっている。一般的な「音楽のDVD」を期待すれば、ガッカリするが。
 これについては今度また書こうと思う。
 話を元に戻すと、レアリティーズのジャケ写も懐かしい。「ゴーストヒッツ93〜96」のフォトセッションの時のもので、別ショットのポスターを持っている。このころはヒデ坊が本当に好きだった。ルックスもキャラクターも理想の女性像だった。では、そのヒデ坊が私にとってそういう存在ではなくなったのはどの時点で理由は何だったのだろうか。ハッキリとは分からない。結婚なんて因習めいたものからは遠そうなイメージのヒデ坊が結婚したからではないか。結婚必ずしも因習というわけではないと思うし、相手がドーナル・ラニーというのもヒデ坊らしいとは思う。それだけではないと思う。昔ヒデ坊はマイナス10歳くらいに見える化け物じみたところがあったが、その魔術が解けてきたのがその頃のようにも思う。ここんとこ、本人やファンが読んでなければいいけど。