なんていやな唄なんだ

kannou2008-01-19

 今日はプチ独身生活プラス休日。妻は実家に帰っている。もう戻って来ぬかも知れぬ。そいつは嘘。ともあれ貴重な一日。有意義な一日にもせねば。
 町田康の「東京飄然」という日帰り旅エッセイを先日読んだのだが、それにあやかり、「岡山飄然」を決め込もう、乗ったことのないJR伯備線で県の北部へ、高梁で備中松山城へ登るのもよいし、さらに足を伸ばして新見まで行くのもいいし、寒いのは大嫌いだがたまには本気に寒いところでリアルに冬を感じて、行けるとこまで行って、県境の雪でも見ようか、とか考えて、昨晩は早く寝て、今朝は早起きする心積もりであった。しかし、昨晩近所のブックオフで買った舞城王太郎の「阿修羅ガール」が面白く、ついつい未明をさらに入り込んだ時間まで読み耽ってしまった。
 舞城を読むのは初めてで、あの文体に拒否感があったけれど、読み進めていくうちに分かって来た。
 評論的なことは、やめておくがというか私は出来ないが、今時の女子高生の一人称で書かれた小説であり、貧弱なボキャブラリーの中でも、主人公は内省的で知的な思索の中にあり、それはやはり文学がずっと問題としてきた「わたくし」と「他者」という問いであり、その思索の対象は下らぬけれどそれは関係なく、やはりこの作品もこの00年代のリアルな文学として存在する。
 この作品で使われている若者の口語などが本当に実際使われている本物であるのかは分からないが、それを書いているのがまた私から一歳しか下でないおっさんであるのもなんかすげー、というか気持ち悪い。
 読み耽ってしまい、高梁ならJRで三十分くらいだし、午後から出ても充分余裕があり、伸ばせる足幅が小さくなるだけだからと、キリのいいところまで読んでしまった。
 しかし、いつものことで休日にはワクワクして早くに目が覚めてしまう、まして今日は特別プレシャスな日でもありワクワクがさらに三割り増しで、六時に目が覚めそのまま眠れなくなった。そんな睡眠不足の状態で遠くまでいくのはきつい。列車は乗るだけだけど、知らない町を歩く力はない。そんなことで、JRで北に向かう計画は止めにした。
 代わりに岡山市内で博物館に行ったり本屋に入ったりコーヒーを飲んだりしよう。「岡山飄然」に違いはない。
 朝食を作って朝コーヒーを飲んでなどしていると不意にフラワーカンパニーズが聴きたくなった。いいバンドだし一度だけライヴを観たこともあって「日本一のライヴバンド」という異称も過ぎたるものではないと認識しているが、なぜかきちんと聴いたことはない。持っているアルバムは初期の「フラカンのマイブルーヘヴン」と「俺たちハタチ族」だけである。二十五歳くらいの時には、内向的でネガティヴなんだかポジティヴなんだか分からない世界観が好きでよく聴いてはいた。今回聴くのはほんとに十年ぶり。ライヴを観たのは二年前に岡山でヨコロコとニートビーツと対バンした時で、ライヴは楽しんだが、音盤に触れようとまでは思わなかった。
 懐かしい。そしていい。ソリッドなギターも。今までちゃんと聴かなかったことが悔やまれた。
「バカの振りをしてるんだよ/誰にも相手にされないから」
そうそう。この曲が聴きたかったのだ。曲名もその後のメロディも憶えてないけど。「フッフッ」っていうコーラスはいいよ。どのバンドにも一曲は「フッフッ」な曲が必要だ。ロックンロールだ。悪魔を憐れめ。
 その後の詞にもすごく共感を覚える。私のメンタリティは十年前と変わっていなかった。
「本音なんか言わないよ/嘘ばっかりついてやる/君のことも大好きさ/どうだ寄ってかないか/いつも反対だぜ」
「どうでもいいんんだ/面倒臭いんだ/誰といたって気を使う/無理してばっかり/無理してばっかり/疲れてばかりで/毛が抜けた」

 え?

「積もり積もった抜け毛がいっぱい/積もり積もった抜け毛がいっぱい」

 そういう歌詞だったのか…。曲名を見てみたら
「積もった抜け毛に火をつけろ」
だった。
 二十代に聴いていた時にはこの部分には反応しなかった。そうか、抜け毛か。禿げか。でもここでは神経性のもの。DNAの企てたこととは違う。そんな区別はつくのか。何にせよ、禿げはハゲだ。
 何ていやな唄なんだ。
 公式サイトを見てみたら、鈴木圭介は前から来ている。毛根の境界が、である。これは多分DNAによるもの。グレートマエカワはライヴを観た時に「宇宙刑事シャイダー」の最終回の宇宙刑事勢ぞろいで地球に帰ってきた時のギャバンみたいなスキンヘッドのイメージがあったが、違うようだった。ちゃんとあった。思い違いだったか。何にせよ、「トーキン・アバウト・アワ・ジェネレーション」そして「ミドルエイジ・ウェイストランド」
 ともあれ、これから岡山に出かける。朝からこんなものを書いていて、もう十時半になってしまった。WEBで調べたら、初期フラカンのアルバムは追加曲ありで再発されている。
 さあ出かけよう。行き先にレコ屋も追加された。有意義な一日にせねば。