土佐武士の名誉と意地

高知城は「愛」の部分

 大河ドラマもいよいよ大詰め。来週には土佐入国だ。号泣する準備はできている。予告編だけで、ちょっと泣けた。多分今までそうだったように、史実とはかけ離れた描き方だろうが、それはそれで、ドラマなのだからいい。ただし、2000年の「葵−徳川三代」に比べれば、ダイナミズムに欠け薄っぺらいのだが、面白くなくはない。テレビ朝日の「太閤記」なんかよりははるかにマシ。(中村橋之助は「功名が辻」の三成ではなかなかいい味出していると思うが、何故テレビ朝日太閤記」の秀吉はただのバカっぽくしかならないのだろう)
 そんな大したことないドラマでも、やはり土佐の悲劇の場面となれば、泣いてしまうのだ。
 しかし今まで、画面にはまったく盛親は登場していない。関ヶ原前夜の描写などでも、盛親と一豊を対比させておけば、伏線にもなり、悲劇性も高まろうと思うのだが。秀次やガラシャなどとはドラマ独自の脚色で因縁を持たせて、それらはそれなりに成功しているのだから、土佐にもサービスせえよ。同じ司馬遼の「戦雲の夢」から引用するとかして。
 といいつつ、山内家には愛憎のうち「愛」の部分もあって、私の心は複雑。でも、元親公を祀った「秦神社」や菩提寺の「雪蹊寺」、盛親公の菩提寺蓮光寺」には参拝しても、「山内神社」には行っても手を合わせようとは思わない。(好きな場所ではあるが…)
 近日中に帰省して、高知県立歴史民俗資料館での「長宗我部盛親―土佐武士の名誉と意地―」展を見に行く。