「CR信長の野望」で討死でござる〜墓場へと堕ちてゆくレール

kannou2006-08-31

 賭け事はあまり好きではない。でもたまにパチンコは行ってしまう。でもほんとに少ない額だ。大勝ちしないかわりに大負けもしない。
 「信長の野望」のパチンコ台が登場した。岡山でもよく見かけるようになった。信長をはじめ、有力大名を選んでプレイできる。もちろん我らが長宗我部元親公もいる。
http://www.newgin.co.jp/pub/machine/nobunaga/index.shtml
 そんな訳で、期待に胸を膨らませ行った。そして、負けた。
 液晶画面もきれいだし、演出も派手で、戦国好きにはたまらない。リーチ予告など、各大名の配下武将が進言してくるのだ。吉田孝頼や谷忠澄が「殿!」とか言ってくれば、ついつい期待をしてしまう。
 これが讒言の末、長宗我部家滅亡の遠因を作った獅子身中の虫、久武親直だったら、信用しなかっただろう。(使われてはないようだが。)
 しかし谷忠澄は、豊臣の四国攻めの際に、元親に降伏勧告を受け入れるように進言し、玉砕戦を防いだ、本当の意味での忠臣であり功臣であるので、彼の言うべきは「パチンコをやめて帰れ」ということであったと思う。
 他には主家滅亡後、山内家に仕えたが、「元親記」を記した高嶋正重など、一般人はまず知らないような武将も出てきた。
 あああ俺の馬鹿。
 考えてみれば、元親は四国をほぼ制覇するも、豊臣によって土佐一国に押し込められ、それはまだいいとしても、豊臣政権の尖兵として九州に攻め入った際に嫡男を失った後は、家督相続で忠臣を粛清したり、悩乱したとしか言いようがない。長宗我部家滅亡の原因は元親公自身が作ったとも言える。パチンコで負けるのも必然か。ただ、こういう言い方は後を継いだ盛親をマイナス評価しているようで、気が進みはしない。大坂の陣での盛親の活躍は天晴であった。(パチンコには登場しないようだが。)高知県立歴史民俗資料館で10月からの企画展の「土佐武士の名誉と意地」というサブタイトルは、盛親を愛する土佐ナショナリズムの心情を、的確に表している。
http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~rekimin/frameset.html
 大河ドラマ功名が辻」にタイミングを合わせてのことだが、一豊ではなく、盛親を持ってくるあたりが、まさしく土佐ナショナリズム総本山の真骨頂だ。歴史民俗資料館は元親居城の岡豊(おこう)城跡(ちなみに盛親の代には浦戸城に移っている)にあるのだ。(高知城など他の場所では、もちろん一豊関連の企画は沢山ある。)
 おそらく同ドラマで盛親が詳しく描かれることはないだろう。もしかしたら画面内に登場しすらしないかもしれない。「勝ち組」一豊の影に土佐の苦難があるわけで、それを描かないでどうする。一豊夫妻と秀次やガラシャにフィクションで複雑な因縁を持たせるよりもだ。(小説「功名が辻」で元親、盛親が登場しないのは、すでに「戦雲の夢」「夏草の賦」で描かれていたからだ。)もし元親が中原に生まれていたらあるいは天下をとったかもしれない(と司馬遼太郎リップサービスした)が、一豊が土佐の土豪に生まれていたら、土佐一国の平定すらままならなかっただろう。
 閑話休題。でもやはり長宗我部は、結果的に、嫌いな表現であるが、「負け組」であると言わざるを得ない。いや、十分偉大であるし、魅力的であるし、夢と希望とガッツを与えてくれる存在ではあり続けるのだが。
 ともあれ、今日、私は負けた。愚かだったから負けたのではない。賭け事に手を出したことそのものが愚かだった。それも夜勤明けの判断力も自制心もない状態で。考えてみれば、パチンコ台の液晶の中で回転するものが「信長の野望」というゲームから取った図柄であるというだけで、歴史上に実在した人物たちとは、実は何の関係もないのだ。まだ戦国時代をシミュレートした(これもリアリティはないし本当にシミュレートしている訳ではないが)ゲームの「信長の野望」をした方が、ずっとマシだった。何より、妻にバレたらえらいことだ。