ヒストリカル藪の中

 で、龍馬暗殺の場、近江屋跡も何度目かの訪問をする予定であるが、その龍馬暗殺、維新史最大の謎と「されて」いる。「実行犯見廻組」への異論は少ないように思うが、「薩摩黒幕説」はよく耳にする。
 私は「薩摩黒幕説」はないように思う。どうやら言われているほど「武力討幕派」と「公武合体派」の対立というのは深刻ではなかったようだ。倒幕勢力内での妥協の余地は大いにあり、また、表立って大政奉還に動いたのは後藤象二郎山内容堂であり、龍馬を殺したところで、土佐藩全体への影響という点では、効果は期待できない状況であったろう。
 私は見廻組による「報復テロ」であったと思う。永井尚志あたりから発せられた龍馬指名手配の取消が、見廻組まで届かなかったか、あるいは無視をしたのか。大政奉還は、実質的には徳川家生き残りの策であったのだが、表面上は幕府の消滅であり、その大政奉還の周辺で何らかの画策していた龍馬に対して、その報復としての見廻組による襲撃であった。大局が、見えなかったのであろう。
 ただし、「見廻組単独犯説」でも不明瞭な点は多い。新政府の、見廻組生き残りである今井信郎らへの処分が、軽過ぎることや、土佐藩が急ぎ過ぎる程に近藤勇の処刑を主張したことなど。まあ、何にしても謎が多いことには、違いない。となると、後藤象二郎なんかもあやしいという論も起こる。
 それに龍馬がメインで問題になるが、暗殺者の真の目的は、慎太郎であったという説もある。負わされた手傷は龍馬より慎太郎の方が多かった。これは、暗殺者が、より執拗に慎太郎を狙ったという解釈もできるが、即死に近かった龍馬にあたった刺客の方が、もっと有効な攻撃のできる使い手であったとも言える。慎太郎はその後数日間、息があった。刺客は斬りかかる前に、どちらが龍馬で慎太郎かを確認をしている。より使える方があたった龍馬の方が、主目的であったも言える。やっぱ、後者かな。
 龍馬暗殺が「陰謀論」的に大袈裟に取り沙汰されるのは、龍馬にさらに大人物であって欲しい願望なのだろう。
 前にも書いたが、龍馬は過大評価され過ぎのきらいがある。過大評価というより、小説やドラマの龍馬像を実在の龍馬と同一視し過ぎというべきか。「龍馬がいなければ維新はなかった」「龍馬が生きていれば、戊辰戦争はなかった」などの言説は、かなりの飛躍である。かといって、「単なる薩摩の使い走り」的な過小評価は絶対に承服しかねるが。
 ちなみに龍馬の逸話としてよく語られる「刀の次はピストル、その次は万国公法」や自らの名を新政府閣僚構想名簿に載せず「世界の海援隊」を西郷に語った話は、創作である。
 「薩長連合」も「大政奉還」も確かに龍馬の独創ではない。「薩長連合」については慎太郎の働きのほうが大きい。しかし「世界の海援隊」構想は、やはり龍馬の中にあったことは間違いようだ。人間的魅力や行動論、発想の柔軟性は、群を抜いている。「ひとりでやったこと」ではなくても、果たした役割は大きい。
 とか、書きながら、私自身、知識不足を痛感したりしている。もっと学問寄りな本を読まなければと思う。でも、知識との垣根さえちゃんと把握できていれば、小説やドラマで歴史を楽しむのはいいことだ。それに、司馬遼太郎の小説も、やっぱり素晴らしい。
 大河ドラマ新選組!」も「薩摩黒幕説」を受けつつさらにひねって、実行犯は見廻組であるが、武力討幕派である薩摩の西郷や岩倉具視らが龍馬潜伏場所を見廻組にリークし、永井尚志の命を受けた新選組は逆に龍馬を護ろうとする。
 新選組が龍馬を護ろうとするというのは今までなかったのではないだろうか。大政奉還に尽力し、穏健派で、徳川慶喜の新政権参加を画策した龍馬は、徳川家にとっては重要人物となり、寺田屋で幕府の捕り方を殺傷した龍馬の指名手配は、幕府上層部から取り消されている史実はあるから、面白い脚色だった。また、龍馬を護るために原田左之助永倉新八が近江屋に駆けつけるもすでに遅く、暗殺は決行されていて、左之助が「こなくそ」と言い残して現場を去るのだが、それを瀕死の慎太郎が聞き、刺客が言い放った言葉と誤解したことになっている。襲撃された後、慎太郎は数日間息があり、彼の言葉により、刺客が「こなくそ」という四国の方言を使ったことから伊予松山出身の新選組原田左之助に疑いが掛かるのであるが、その史実を踏まえつつ、上手く料理している。
 ちなみに龍馬の墓のある霊山は、護国神社もあり、「霊山歴史館」は非常に右寄りな施設である。靖国の「遊就館」に近い。高知の「自由民権記念館」などとは対極(笑)だ。