上洛してきた その1

斬る・グル

 先月の23日、ソウル・フラワー・ユニオンのライヴを心斎橋クラブ・クワトロにて観た。ライヴ前とその前日は京都観光。
 22日の朝6:20発のバスにて倉敷を出発。家を出る時はまだ雨は降っておらず、見送りの妻が「傘はビニールの小さいのでええんじゃない?」と一言。その言葉を信じて傘を持ち替えたのが後に凶と出た。
 バスに揺られて酔う。関西圏(神戸以東)に入ったあたりから高速道路が混みはじめた。やはり関西には、よう住まん。高速で走れないやん。中四国では滅多にないことだろう。
 京都に着き、まずは長宗我部盛親公の眠る蓮光寺を目指す。さすがに京都は寺が多い。多分ローソンより寺が多い。あまり迷わずに到着。倉敷にてやっと見つけた土佐鶴をお供え。お寺の方と暫し話す。やはり高知から墓参に来る人も今だ多いらしい。秋の高知県歴史民俗資料館の「長宗我部盛親展」にこちらからも遺品を出されるそう。400年忌の再訪を約束。大坂の陣からもう400年か…。「土佐のために頑張る」と心の中で誓う。まあ、微力を尽くします、と。今は訳あって岡山県民だが。
 四条河原町の近江屋跡まで歩く。ここが龍馬と慎太郎の殺された場所。今は碑があるのみで、旅行代理店になっている。
 それから池田屋跡へ。碑があるのみでパチンコ屋になっている。
 佐久間象山遭難地や武市瑞山寓居跡、吉村寅太郎寓居跡も見る。これも今は碑があるのみ。そのころから雨が強く降りはじめ、カメラを濡らさぬように写真を撮るだけで精一杯になった。
 龍馬寓居の「酢屋」は往時の建物ではないが、今も子孫の方が木工の民芸品の店をやられていて、外観も当時に似せてある。その前の通りは「竜馬通り」の通称があるそうだ。
 すぐ近くの高瀬川沿いに土佐藩邸跡や「土佐四天王像」があるのだが、あまりに雨がひどいので諦めた。このように、今回の旅行は、すぐ近くに他の見るべき場所があるにもかかわらず、雨や疲労のために見残すという残念な事態が多々あった。
 バスで祇園方面へ。雨のため八坂神社は通り抜けるだけで、円山公園の龍馬と慎太郎像を見て、霊山へ急ぐ。傘が小さいビニールなのでかなり濡れた。根拠のない忠告はあまり聞かないようにしようと心に決めた。予定よりかなり押していたので、高台寺も前を素通り。「御陵衛士屯所跡」の碑だけはカメラに収める。霊山で龍馬と慎太郎の墓参。雨に煙る京の街を眺める。他に殉難の土佐藩士の碑にも手を合わせる。土佐鶴一本しかないけど、皆で分けてくださいとか思いながら。
 霊山歴史館を見学して、壬生へ。壬生浪士組〜初期新選組屯所跡の八木邸を見学。観光ガイドの方に話を聞いたその部屋は、芹沢鴨が暗殺された場所。鴨居にはその時の刀傷が残っている。見学には「鶴寿庵」の「屯所餅」と抹茶がついてくる。美味であった。土産に買えばよかった。
 見学者は意外と若い人が多かった。大河ドラマか「るろうに剣心」で新選組ファンになったのだろうか。実は私もそうなのだが。オダギリジョーが「牙突」を放つ姿を想像したりする。
 向かいの「前川邸」も、隊士たちが寝起きし、切腹し(笑)、倒幕派志士に拷問を加えたりした場所なのだが、今でも民家につき、一般公開はしていない。しかし、歴史的に重要な建物がこれだけ残っているとは、改めて京都の素晴らしさを感じる。高知市内の至る所にある碑が、土佐が幕末史の奔流にあったことを物語るが、城と一部の武家屋敷を除いて、ほとんど何も残っていない。空襲もあったし。城が残っているだけでもありがたいが。でも郊外に武市瑞山の生家は残っている。北川村には慎太郎の生家もある。
 屯所の裏には壬生寺があり、隊士の教練に使われた。壬生の町を歩いて、しばらく感慨に浸る。このころには、雨も小降りになっていた。でも、島原まで行く力は残っていなかった。夕方になったし、ホテルに帰って一休みして、cocoイチのカレーを食べに行った。何故か、カレーが食べたかった。
 思えば、この日は血生臭い場所しか行っていない(笑)。次の日も血生臭い場所ばかりなのだが。「幕末メイン」が今回の旅行のコンセプトなので、仕方がない。
(つづく)