僕が…一番…vitzを…上手く…使えるんだ…

G vs G

 ちょっと前のことになるが、愛車を修理に出していた。高速道路で前方か対向車の跳ねた小石でフロントガラスにヒビが入ったからだ。その間の代車はイストだった。最初は違う車に乗れるということでうれしかった。でも、すぐに乗りなれたvitzのシートが懐かしくなった。
 斯様に、私はvitzを愛している。小回りも利くし、燃費もいい。コンパクトで運転しやすい。
 たとえ大金持ちになって、テキサスブルースの父ブラインド・レモン・ジェファーソンのように運転手を雇う身になっても、乗る車はvitzと決めている。
 でも、もしかしたら、vitzという車種が好きというよりも、あの車そのものへの愛着がそう思わせるのかもしれない。あの車で、何度も太平洋を見に行った。四国の山々の登山口まで走ったし、雪の林道でホワイトアウトを経験した。瀬戸大橋を越えて倉敷まで来た。愛する相棒。
 ところで、アムロはこのようにガンダムを愛していたのだろうか(今日の日記の題はアムロの台詞からであるが、これはガンダムへの愛着からでた言葉ではない)。乗組員の「家」でもある艦船については愛情といってもいいものが描かれているけど、モビルスーツへは「兵器」という「道具」に対する以上の感情は描かれてなかったような気がする。
 今思い当たらないだけで、そんなことはないのかもしれないけど。
 シャアやランバラルや黒い三連星が愛機をパーソナルカラーで塗装しているのはやっぱり愛情か、それとも目立つためか。
 一方「新機動戦記ガンダムウィング」の5人パイロットたちの機体への愛情はものすごい。簡単に自爆するのも愛情の裏返しか。しかし、自爆してもすぐ修復できる。それじゃ自爆の意味ないやん。
 ちなみに、ガンダムについての簡単な補足。
 「ガンダムウィング」は「宇宙世紀もの」ではないが、登場人物みんなエキセントリックで結構好き。繰り返し見るほどではないが。
 逆に「ポケットの中の戦争」と「08小隊」は「宇宙世紀もの」でも好きではない。でも見るけど。
 やはり「宇宙世紀トミノもの」にどうしても特別に愛情が注がれてしまう。
 まあ、それぞれにガンダムの名を冠しても、つながりがあったりなかったり、作者が違ったりするので、ここを読んでガンダムに興味を持った方は、是非この世界に足を踏み入れて下さい。