こうちの四世紀 / 山内家への愛憎

 1年待った大河ドラマ功名が辻」がついに放送開始。期待もしつつ不安も多かった。やはりそうあって欲しくなかった方向性でのドラマ化であった。重厚な歴史ドラマではない。でも、原作もソフト路線ではあったので、妥当ではあるのかもしれない。面白くなくはないし。
 ただ、キャストに問題がある。館ひろしは信長らしくはないし、西田敏行は家康ではない。信長はもっと線が細くて神経質な感じだと思う。怖さはあるけどその種類が違う。家康はもっと腹黒っぽさが透けて見えるようで欲しい。西田敏行のイメージは人が良さ過ぎ。数年前の大河の「葵−徳川三代」の二代将軍秀忠のイメージを私が引きずっているのかも。それに一豊はあんなに男前ではない。
 ドラマでも原作小説でも、一豊はまっすぐに生真面目な人間として描かれているが、そうでありつつも一面として腹黒さも当然に隠し持っていただろう。名を成した武将であるなら必須の素養であるし、土佐入国後、我らの同胞の祖先を種崎の浜にて謀により虐殺した人物であるのだから。
 しかし前にも書いたが、山内家なくして今の高知の姿もまたなかったであろう。長宗我部家も今高知城のある大高坂(おおたかさ)山を中心に城下町を築く計画があり、藩政時代に長宗我部家が土佐で存続していたとしてもやはり大高坂山を中心として城下町を築いたであろうが、「高知」の名はなかったかもしれない。「河中」でこうちと読んでいただろう。あるいは盛親の次あたりの藩主が、やはり洪水を忌み、五台山竹林寺の僧、空鏡に改名を依頼する運命であったかも。(実際は山内家の二代藩主忠義が空鏡に依頼)
 長宗我部家は戦に明け暮れたただの破壊者であり、土佐への本当の恩恵は遺していないとする見方もあるが、ある面それは言える。しかし乱世の長宗我部家と治世の山内家を行政面のみ見て比べるもの酷ではある。とは言いつつ、元親も学問を保護し、奨励していた。それ以前からも南学の伝統はあり、家臣らもインテリが多かった。郷士への抑圧以外は、山内政権も長宗我部政権の政策を引き継いだ部分も多く、土佐国発展の素地は長宗我部時代からあったのだろう。それに元親の天下への野望と盛親の不屈の意地は、粗野で野蛮な土佐人の心にパワーを与え続けている。
 ともあれ、山内家の郷士層への抑圧がなければ、勤皇倒幕のエネルギーもまた生まれ得なかったであろう。最後まで徳川家の政権残留に尽力した容堂は一豊の後裔(もっとも、一豊には実子がなかったので、直系の子孫ではないが)らしく律義者であった。ちなみに一豊に実子がなかった(一人娘は長浜城主時代に地震にて死去)のは側室を持たなかったこともある。恐妻家だったのか、真の愛妻家だったのか。勢力拡大以上に家名を残すことを至上命令としていた大名としては異例であり、偉い男と言っていいのか。
 ちなみにこれも前に書いたが、一豊は「かずとよ」と読まれることが多いが、「かつとよ」が正しい。ついでにいうなら「やまのうち」ではなく「やまうち」である。これは高知の常識でもあるし、先代の山内家当主(今はどうか知らない)も主張しているところである。
 「功名が辻」の1回目の放送の後、9時よりテレビ朝日井上靖原作の「風林火山」が放送された。来年の大河も同じく「風林火山」であり、大河の放送時間の直後に持ってきたというところは大いに対抗意識を持ってのことだろうか。
 しかし、これは面白くなかった。画的にはずっしりとして厚みも深みもあるのだが、山本勘助北大路欣也以外の役者がよくなかったり、脚本が薄っぺらだったり。由布姫はただのワガママで理解しがたい女としか写らなかった。原作を読んではいないのだが、これは脚本の不味さではないかと思う。信玄の松岡昌宏もすごんでしゃべればいいとしか考えてないようだ。加藤あいは大好きなのだが、時代劇は無理だ。
 やはり私は「葵−徳川三代」のような重厚な歴史ドラマが見たい。ジェームス三木、再び。