歴史小説について

で、司馬遼「戦雲の夢」を読んでいる。
ただ、小さな部分であるけど、間違いを発見して興ざめであった。長宗我部家末期の居城が「浦戸の大高坂城」のようになっていたが、「浦戸城」と「大高坂城」は別物である。
大高坂(おおだかさ)城は現在の高知城の場所にあたり、1587年、現在の南国市岡豊(おこう)の「岡豊城」より居城を移したのであるが、この地は水害が多く、91年に桂浜近くの浦戸城に再移転した。太平洋を望む雄大な景色であっただろう。今現在は「坂本龍馬記念館」がある場所である。
余談であるが、坂本龍馬記念館は特に見るものもない「税金の無駄」を体現したような施設であるが、ここからの太平洋と海岸線の眺望だけは価値がある。まあ、龍馬を手っ取り早く知りたい初心者にはわかり易くていい展示をしているのかもしれない。
その後、長宗我部に替わり土佐に入国した山内氏によって大高坂に再度築城され、河中山城(かちゅうさんじょう)から高智山城、高知城となり、現在の天守閣は1753年に建て替えられたものが現存している。
その司馬遼のミスについて、誰か指摘はしなかったのだろうか。発表されたのは古い作品であり、版を重ねていて、訂正の機会は幾度もあったはずである。
これはあまり重要視するようなミスではないのかもしれないが、司馬遼作品には他にも地元のちょっと歴史に詳しい人ならすぐ分かるような間違いが見受けられる。土佐の郷土史家の間では、司馬遼が間違えたり(小説として補完する意味で)脚色した部分が史実のごとく流布していることが多いと批判の声もあるようだ。「脚色」という部分は「小説」の「登場人物」として肉付けする上で不可欠であるし当然のことであるが。脚色や創作による補完の部分を史実と誤解するのは、読み手の問題であり、それによって司馬遼への批判とするのはお門違いである。ここでなされる批判は「歴史小説家」である司馬遼へではなく「歴史家」としての司馬遼へ向けられたものである。しかし「国民的作家/歴史家」である司馬遼の権威は強大で、その声は大きくならないらしい。
この話も私はまた聞きしたのであって、具体的にどの部分が、というのは知らず、そういう主張の人がどれくらいいるのかも知らず、誤認があってはいけないので、断定的なことをいうべきではないのだけれど。それに郷土史家といっても、極端な人もいるわけで、いわゆる「トンデモ本」レヴェルなものもある。
話はそれるが、高知には何でもかんでも「龍馬」とつくものが多い。代表格はやはり「高知龍馬空港」である。その他、専門学校(別に龍馬のことを教えるわけではない)、不動産屋、喫茶、プロバイダ、代行運転などなど。龍馬は実際、史上他に類を見ない偉大な人物ではあるけれど、虚像が一人歩きしている観がある。というより、安易に龍馬を口にする人の全てが「歴史上の人物」としての龍馬を理解しているわけではないだろう。
まあ、歴史小説は小説として楽しみつつも、事実を押さえるのは客観的に書かれた副読本がかかせないので、両手に持ちつつ読み進んでいる。
しかし仮に、史料の原本に当たる程(もちろん私は古文書などまったく読めないので当たれる訳はないのであるが)深く研究してみたとしても、そこから知りうる人物像というのは、やはり実在からは距離があるとも思うのだが。たとえば、同時代人であっても、我々がボブディランやジョンレノンについて、人それぞれに評価や受け止め方が違うように。