がっかりさせとけ名所

はりまや橋公園

昨日の日記でも触れた「はりまや橋」であるが、「がっかり名所」という別名がある。
よさこい節」にも唄われ高知の城下を代表する場所であるのだが、期待して訪れた観光客をがっかりさせることが多いらしい。
はりまや橋はかつて城下を流れる堀川の両岸にあった播磨屋と櫃屋が双方の行き来のために架けた私設橋だった。堀川自体はさほど大きい川ではなく、橋が架かる帯屋町一帯が商人街であったことから、浦戸湾への運河として利用されていたようだ。その名のとおり高智城の外堀としても掘られたものだ。橋は何度か架け替えられたが、堀川はドブ川として悪臭を放ち始め、1960年代に埋め立てたれた。その跡地は公園となり、はりまや橋は欄干の一部を残すのみとなった。この残された欄干はむき出しのコンクリート製で、架設されたのはおそらく大正か昭和初期であろう。(ちょっと資料が見つからないので…推測)よく紹介される道路沿いの朱塗りの欄干は昭和33年の「南国高知総合大博覧会」に合わせて作られたもので、一応名所としての体裁は保たせようという意図であろう。
それでもやはり「がっかり名所」という「悪評」は拭えず、平成10年に公園を再整備し、公園内の池にこれも朱色で小さい太鼓橋を架けた。つまりこの公園内にはコンクリ製の欄干ととってつけた朱塗りの欄干とさらにとってつけた朱塗りの太鼓橋という3種のはりまや橋が存在する。(もう1個、鉄製の欄干の橋も池に架けてあるので、4本か)
ちなみに今もこの堀川ははりまや橋以東では残り、鏡川に注いでいる。浦戸湾まで至近なので、ヨットやクルーザーなどの停泊地になり、川の岸には桜が植えられている。綺麗な川とはけしていえないけれど、「悪臭を放つ」というほどではない。つまり、川は埋め立てたころからいえば、多少なりとも蘇ったのである。行政のすべきは「埋め立て」ではなく「川の復活」をさせることであったと思う。
もっとも、実際に川が流れていたとしても、小さな運河であるし、眺めがよいわけでもない。「がっかり名所」であることには変わりなかっただろう。今となっては、詮無きことではあるが。
いずれにしても、行政は「がっかり名所」の汚名返上にやっきになっていたようで、平成10年の工事でその目的を達したと考えているようだ。しかし、所詮よさこい節当時の橋が現存するわけではないので、どんな取り繕おうとがっかりさせることには変わりないだろう。重要なのはそこにかつて「豪商播磨屋」が橋を架けたことであり、「坊さんかんざし」という出来事があった事実である。むしろ、がっかりさせとけばいい。桂浜(桂浜の場合、近年の景観の悪化で別な意味でがっかりするかもしれないが)や五台山など、市内にも他にもすばらしい場所がある。最初にがっかりさせておけば、後の感動も大きいだろう。でも、はりまや橋跡には地下道があり、そこには過去の城下の風景のパネル展示がしてある。これは、一見の価値がある。
http://www.kochinavi.jp/play/pa003/pa003h01.html