長さんを悼む

やっぱり、今も心に穴の空いたような感じが抜けない。芸能人や直接知人でない人の訃報でこんな重い気持ちになるのは、多分初めてだ。ジョージハリソンの時もジョンエントウィッスルの時もジョーストラマーの時もどんとの時も、私は彼らのファンであったし、それなりに悲しい思いはあった。でも今回は、私という人格を形成した幼年時代の原体験の一部分が、現在の時間軸と断裂したような、そういう種類の淋しさだろうか。
子供の頃はドリフのコント内でのキャラクターが素だと思い、いかりやは本当に怖い人かと思っていた。厳格で強権的な人であるけど、どこか抜けていて、それに反抗する志村に、「バカな奴だな」と思いながら喝采を贈った。子供にそう思わせる事がいかりやの狙いであったし、私はその目論見にまんまと嵌まった大勢の子供の内の一人であった。
お笑いは好きだし、ネタをやる番組はよく見るけれど、その他のバラエティ番組はほとんど見ないし、好きではない。隅々まで計算され構築された「全員集合」の笑いは、アドリブと楽屋オチ――悪く言えば芸人同士の悪ふざけ――を前面に出した「ひょうきん族」という新しい流れに駆逐された訳だが、今どきのバラエティ番組はその流れの延長にあり、それ故それらの番組が好きではないのかもしれない。
今日仕事に出る前にずっといかりやを追悼するワイドショーを見ていた。66年の武道館でのビートルズ来日公演の前座で演奏するドリフの映像が流れたのだが、その頃からもうコミックバンドだったのが意外だった。お笑いにシフトしていくのはもう少し後になってからだと思っていた。ところで、その時にドラムは誰が叩いたのだろう。本来ドラムは加藤茶だったと思うが、ギターを弾いていたようだ。一瞬だったのでよく確認できなかったが、メンバー5人ともが前列に並んでいたと思う。ささいな事が気になるものだ。