T教授の思い出

死刑論議について考える時、私の学生時代の指導教授であった刑法学者のT教授を思い出す。T教授は滝川幸辰教授の弟子である。昭和の戦時下、その著作である「刑法読本」が「赤化思想」であるとして時の文部大臣鳩山一郎民主党鳩山由紀夫の祖父か?)が京都帝大の人事に介入し、罷免させた「滝川事件」で有名な滝川教授だ。「刑法読本」(私は未読だが)は、自由主義的刑法解釈に立っているが、マルキシズムとは無関係である。何でも「赤」と言いくるめる時代だったのだ。で、私はその滝川教授の孫弟子にあたる訳だ。これは坂本龍馬と同じ町内に生まれた事と並んで、私にとって誇るべき事であるが、妻に言わせれば、別に誇る程の深い関係性はない、との事らしい。
T教授は私が4回生になる時に70歳を迎えられて退官され、横浜に引っ越された。一度就職先が決まった時手紙を書いたが、その後住所録をなくしてしまい、それ以降連絡はとっていない。ご高齢だから心配だ。
T教授はずっと死刑廃止に尽力されていた。最後の講義でご自分の学者生活を振り返っての「日本国内で、死刑が今だ存置され、破防法などの治安刑法が存続している事に学者としての無力さを感じる」という言葉が強く印象に残っている。
他には、学徒動員で召集され、訓練の場所であった鳥取砂丘が今は呑気な観光地になっている事に釈然としないものを感じたという話や、新憲法公布前後、神社の境内で熟年の夫婦が手を繋ぎ仲良さげに歩いているのを見て、新しい日本の到来を実感したという話などに敗戦期前後に学生時代を過ごされた方ならではのリアリティを感じた。
心臓が悪かったので飲酒は止められていたが、焼酎は酒ではないと大量に飲まれていた。
私は学生時代も熱心な学生ではなかったし、法学とは縁遠い生活をしていて、T教授の教え子を名乗るのもおこがましいのだが、昨今の社会状況などについて、また話をしてみたい。