iPhoneで変えられた

kannou2012-01-13

 二十世紀の終わり、九十八から九十九年ごろは、自分は先端を行っていると思っていた。 PCを始めたのがウィンドウズ98で、けして早くもないし、高度に使いこなせている訳ではなかったが、高知という辺境で当時はまだPCの普及率は低く、コンピュータには縁遠い職種ではあったし、周りに使える人は少数であった。しかしITが爆発的に普及しつつある過渡期でもあり、業務上でも対応を急がれる状況ではあったので、重宝される場面もあった。
 二〇〇一年ごろには、私の周りでも使える人と使えない人の比率は逆転し、寧ろ使えて当たり前な時代になった訳だが、あの時期に井の中の蛙的に自分が最先端である如くに錯覚していたのも、無理からぬ状況ではあったとは思う。
 ところで、先端と言えば、川上未映子の「先端で、さすわさされるわそらええわ」が発表されたのは二〇〇五年だからもう少し後のことであり、インターネットを重要なガジェットにした最初期の小説は、純文学の分野では二〇〇一年の阿部和重の「ニッポニアニッポン」ではないかと思うが、その二人が昨年十月に結婚していたことをiPhoneブラウジングしていて知った。驚いた。iPhoneを購入したその日であった。iPhoneで初めて得た真に有益な情報であった。
 閑話休題。そんな先端かどうかは置いといても、それなりに進んではいたのだが、何時の間にか時代に取り残されている自分に気がついたのは、三年ほど前だった。ツイッターって何か分からないし、フェイスブックもする気はない。ミクシィはしているけど、全然活用はしていない。ITに疎くなっていた。スマートフォンも何をするものか、いまひとつ分からなかった。
 出先で自由にwebが見られたらいいなとは思ってはいたが、電車の時間や宝くじの当選番号を調べるくらいが精々で、普通の携帯電話で見られなくもないし、手帳機能なんかも問題なくある訳で、何も不足は感じていなかった。わざわざ携帯でツイッターミクシィをする意義も見出せなかった。ジーパンの後ろポッケに入れられるし、それに対して、ほぼ一面が液晶パネルのスマートフォンは持ち運びにも気を使いそうだ。
 でも、時代の空気感というものに後押しされたのだろう、衝動買い的に機種変更した。
 それから一か月程度経つ。人生は変わらないが、生活は変わった、ように思う。PCを始めたころに近い、新鮮な発見の毎日である。知らない街や大阪日本橋に行っても、もう迷うことはないだろう。今更ながらツイッターを始めて、執拗に書き込んでもいる。
 今まで携帯電話を機種変更する時には本体の代金は月々の使用料と一緒に分割払いする方式にしていたのだが、今回は一括払いで購入した。だから、その、フェンダージャパンのギターの一番安いモデル(中国製だろうけど)が買えて釣りがくるくらいの高額さも実感した。だから、使い倒さなくてはならない。元を取らなければならない。バッテリーが持たないことは困るが、そりゃいじりすぎだからだろう。
 時代の先端に戻れた?ちょっとは追いつけたか?そういう焦りがあるってこと自体、端から進んではないのだ。