土佐人のソウル

これが馬鹿だめし

 「よさこい節」の有名な一節「はりまや橋で坊さんかんざし買うを見た」というのは江戸時代後期のゴシップネタが流行り歌となったものであるが、「よさこい節」の旋律と「よさこいよさこい」という囃子はそれ以前のずっと昔よりあったようだ。他の多くの民謡と同じく、決まった歌詞があるのでなく、即興で歌われた。「よさこい」の語源は「夜さり来い(あるいは恋)」であるという説がよく言われるが定かではない。
 また一説には「よさこい節」のルーツは高知城築城時のワークソングであるという一文を読んだ憶えがある。確かに「よっさ、ほいさ」とか「よっこいしょ」が「よさこい」に変形したというのにはありそうな話である。
 だとしたら、この歌は17世紀初頭から高知の街を見守ってきた歌ということだ。城を作ったのは山内家という封建時代の権力者だが、その城下町に住んだのは民衆である。中川敬風に言うなら「間違いなくこの4世紀、土佐人に最も多く歌われた旋律であろう」となる。そしてこれからも間違いなく歌い継がれてゆく。(2005-01-24の日記も参照)
 とまあ、最近人物往来社の「別冊歴史読本山内一豊・土佐二十万石への道」を買い、読んでいて思った。来年の大河ドラマの主人公である。
 しかし、なんで一豊の本なんか買わねばならぬのか、冷静に考えれば、腹立たしい。いや、面白いし、興味深い人物ではあるが。
 この感覚というのも奇妙なもので、藩政時代の領主というものは他国から任じられて来る方が普通であったのだ。土着の豪族がそのまま藩主になった例というのは大きいところでは薩摩の島津くらししか思い浮かばない(私が知らないだけかも)。大抵豊臣や徳川政権に改易されている。
 でも土佐では、山内家に対して、よそ者の支配者として反発心があるのは、土佐土着の大名にして四国の覇者であった長宗我部家への郷愁と愛着と、その遺臣への山内家による冷遇と圧迫があったからであろう。