「明日の会場はクラブ・クワトロだ。それ以上でもそれ以下でもない。」

夏去りぬ でもアロハ

 しばらく書いてなかった。ストーンズの新譜がホントに良いこと(ミックがスライドギターを弾いていて驚いたが、もっとクレジットをよく見てみるとベースを弾いている曲もあり、さらにビックリ)ディランの60年代レア音源やアウトテイク集(マーティンスコセッシのドキュメンタリーのサントラでもある)も素晴らしく(別テイクでも採用テイクとはまた違った味わいがあり、貴重な音源として分析的に聴く以前にそれそのもので楽しめる)大山(1729m)に登ったり(それは中国山地初登頂でもあった)矢野絢子の新譜がもうすぐ発表の期待の高まりや神戸板宿のロック喫茶「ラグタイム」閉店のことや源平時代の土佐のことや、書きたいことが山ほどあるのだが、時間がないので、ちょっとだけ思い違いをしていたことを恥を忍んで書く。
 明日はユニオンのライヴであり、会場は心斎橋「クラブ・クアトロ」である。昨日妻に指摘されて初めて分かったのだが、「クワトロ」と発音し表記していた。まあちょっとした外来語のカタカナ表記の違いであるので、どっちでもいいのだが、絶対に「クワトロ」の方がいい。
 言うまでもなく、「クワトロ」だと思い込んでいたのは、Zガンダムクワトロ・バジーナ大尉を踏まえてのことであった。
 クワトロ・バジーナとはシャア・アズナブル(これ自体偽名であるが)がエゥーゴに参加していた時期に用いた偽名である。イタリア語で「4」を意味する名をつけたのは、彼の4番目の名だったからだ。「キャスバル・レム・ダイクン」「エドワウ・マス」「シャア・アズナブル」に続く名である。乗機は金色の「MSN-100 百式」である。ちなみに中村一義のバンドはここから取ったと思われる。さすがガンダム世代。余談であるが、私は先日携帯電話の機種変をし、色は金色にした。もちろん百式を意識してのことである。「百」とマーキングを入れたいのだが。
 百式というネーミングは、MSA-099 リックディアスの次に開発されたモビルスーツで、型番が100であったことに掛けて「百年使えるモビルスーツであるように」との願いを込め、設計主任の日系人N・ナガノ博士によるものである。機体色が金色なのは、実験的に対ビーム・コーティングの皮膜が施されているからである。尤も、実用性があったかどうかは不明らしい。機体色が金色ではひどく目立ちそうな気がするが、さすが派手好みのシャアである。しかし一説には写り込みがある金色は宇宙空間では逆に回りの暗黒と同化し、視認性が低かったとの説もある。
 シャアという人物も屈折していて、結局一パイロットでいることも回りから許されず、指導者にも徹しきれない中途半端な人物であった。彼をそうならしめたのはやはりララァの心をアムロに奪われたトラウマがあったのであろう。パイロットとしてはアムロに勝てず、アムロララァの間のニュータイプ同士の魂の共鳴は、彼が成し得なかったことだ。「隕石落とし」という地球への大粛清も、本心はイデオロギーによるものではなく、結局アムロへの私怨、というより劣等感を払拭するための、個人的な戦いとしてしか戦えなかった。 言う事は大仰で達観していて格好つけると決まるのだが、突き詰めると本質的には屈折していて情けないシャアという人物は、実に魅力的だ。ある意味、富野由悠季の分身であるともいえる。
 で、もうすぐZガンダムの劇場版第二作が公開になる。一作目は予想外に面白かった。おそらく初めてガンダムに接する人はストーリーや世界観を理解できないだろうが、それは長い尺のTV版のダイジェストなので致し方ない部分もある。しかしTV版とは主人公カミーユ・ビダンの性格がかなり違っている。エキセントリックだったりひがみっぽい部分が少ない。クワトロがシャアであることを隠していると知っても、「赤い彗星のシャアなんだ」と純粋に憧れの目で見ていて、わだかまりがあまりないようだ。シャアであることを認めず、一パイロットに甘んじようとして、リーダーとして立とうとしないクワトロ・バジーナをぶん殴るあの場面がないのである。
「私はクワトロ・バジーナ大尉だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「歯、食いしばれ、そんな大人、修正してやる」
(ボカっ)
「これが…若さか」
 ウワサではTV版では悲劇的だったラストもちょっと変わるらしい。
 シャアの描き方も「逆襲のシャア」で描かれたシャアへの流れにつながりやすい印象を持った。
 絵もTV版再編集の部分と新規描き起こしの部分が混在していて違和感があるのだが、それぞれの部分を見比べることに、また新たな楽しみを発見することもできる。
 そんな訳で、明日のソウル・フラワー・ユニオンのライヴ会場は心斎橋クラブ・クワトロなのだ。バナナ・ホールよりもずっと場所が分かりやすい。バナナは何回行っても一人ではたどり着けない。