教育の滑走路に龍馬生誕地

 去年の正月にあったテレビ東京の12時間時代劇の「竜馬がゆく」のDVDをレンタルして見た。
 いうまでもなく高知にはテレビ東京系放送局はないのだが、土日の昼や深夜枠で何度か再放送され、好評だったようだ。通して見るのは初めてだった。テレ東らしく低予算で、キャストも一流どころばかりという訳ではなかったが、司馬遼の原作が優れていることもあり、やはり面白かった。12時間(実質は10時間程度)の長丁場ではあったが、原作も長大であり、端折ったり分かりやすく改変しているところもあったけれど、見る価値はある。
 高知においてこのドラマの最も評価の高かった点は、劇中の土佐人の土佐弁が非常にリアルだったことだ。現代劇にしろ時代劇にしろ劇中の土佐弁が正しく使われていることはほとんどない。たまに語法的に正しくとも、発音やイントネーションは違っている。それが、本作ではかなり正確なのだ。大坂在住のネイティヴの劇団員が方言指導で携わったらしい。出演者は、演技よりむしろ方言での苦労が多かったそうだ。すべて完璧という訳ではないが、主要出演者は土佐弁TOEICがあれば高得点間違いない。
 ただ、市川染五郎の竜馬がいささか小ぎれいで、竜馬らしくない気はするが。
 四部構成中最終章の第四部は前にも見たことがあり、竜馬暗殺の場面ではやはり泣いた。今回も泣く気満々ではあったのだが、大政奉還が成ったあたりで、不覚にも寝てしまい、気が付けば近江屋の現場だった。不覚…、いや、不逞。土佐人失格。
 高知では、特に私の小学校では校区内に龍馬生誕地があることもあり、まずは「龍馬はエライ」と教えられる。小学生に複雑で血生臭い幕末の事情が飲み込めるとも思えないが、「龍馬はエライ」ということは刷り込まれる。しかし、実際に偉大であるのだから、「偉い」と教えるのは間違っていない。
 私の中では、龍馬は中江兆民植木枝盛幸徳秋水と連なる民衆のための英雄である。兆民や枝盛は思想家であって、龍馬とはタイプの異なる人物であるのだが、龍馬は自由民権の先駆けであるように思える。少なくとも、精神的には。民権運動家の中にも龍馬の像は生きていたはずだ。
 それだけでなくて、実業家でもあった。三菱の創業者の岩崎弥太郎は龍馬のそういう部分を継いだ。しかし、地元土佐では弥太郎はあまり人気がなく、私も好きではない。政商で国家との癒着の臭いがし、金持ちへの妬みの気持ちもあってかもしれない。そもそも軍需産業である三菱という企業が嫌いだ。
 ともあれ、高知では市の政策(高知市外ではどうか知らない。中村などはその傾向は薄いかもしれない)として「龍馬は偉い」という結論から叩き込まれる。どうして偉いかは後でついてくる。しかしやはり偉いのだ。