中川・ザ・ポリティカル

ソウル・フラワー・ユニオン中川敬氏がイラク邦人誘拐事件以降頻繁にあちこちのBBSに彼の主張を書き込んでいる。SFUの公式・非公式サイトだけでなく、ヒートウェイヴ友部正人氏やブームのサイトにまで。彼の言うことは左に振り切れ過ぎていて、同意出来ない部分もあるのだが、今回の一連の邦人拘束事件についての主張は、概ね賛同した。というか、「よく言ってくれました」という感じ。彼の文章は難解な修辞を多用する癖があるが、論は明快にして真摯である。
ただ、この中川の行動に対して「引いた」ファンは多かったようだ。妻もその一人である。余談であるが、妻は西武ファンであり、清原ファンである。しかし読売は大嫌いだ。清原が巨人軍に所属していることは、妻にとって実に許されざる事態なのである。それを喩えて、「中川がグレイに加入することを想像してみぃ。それと同類の感覚」と私に説明した。それで十二分に妻のやるせなさが伝わってきた。そんな妻も今ではもう「中川がグレイに入っても何とも思わへんわ」と言っている。尤も、そんな事態こそ、あり得ようがないが。それなら私がフーに加入する可能性の方がまだまだ高いように思う。
閑話休題。中川本人も、その行為によってファンが離れるかもしれないリスクは充分に承知していると思う。それでもやはり黙っていられないのが「表現者中川敬」なのだ。中川は元々政治的発言の多い人で、ファンクラブの会報などの限られたエリア内のみでなく、新譜発表時のインタヴューやミュージックマガジンの年間ベストアルバム評でさえ延々政治的主張を述べることが多かった。それも必然だと思う。中川の表現の原泉はその思想性と不可分なのであろう。
これは、中川がラヴソングや私小説的楽曲が書けないという意味ではない。実際いい曲はある。しかし、「ラヴ・プラスマイナス・ゼロ」発表直後の「ラヴラヴ発言」は如何なものかとも思うが。
それに、政治的意見を表明することや関わりを持つこと、それらに対して敬遠する風潮は、危険な兆候であると思う。民主主義は、制度の保障がされて、それで不動のものとなるのではない。腐りやすい、生ものなのだ。
であるから、私は中川が音楽以外の場面で発言することについても、支持する。