9・11

その日のその時刻、私は昼寝(夜であったが)をしていた。友人がメールでその一報を伝えてきたので目が醒めて、テレビを点けた。映像を見たその時は事故かと思った。人の意図した事としてそれが起こされたとは思えなかったのだろう。その後すぐに、2機目が突入した。
丁度その日はボブディランの新譜の発売日だった。(本国では違うかもしれないが。)アメリカの音楽史を咀嚼して体現したその内容は、ディランのキャリアを総括するような傑作だった。それでいて、妙に陽気な、明るい感触は異色作ともいえる。60歳(当時)を過ぎたおっさんがこんな素晴らしい作品を作ったことがうれしかった。
瓦礫の下や炎に焼かれる人たちの中にも私と同じくディランの新譜を楽しんだ人はいるのだろうと考えた。すべての人がアメリカ政府のやり方を支持している訳ではないだろう。支持していても、或いはウォールストリートで働く事が無意識にでもアメリカの「世界戦略」に荷担することだとしても、それがこの報いを受けるに値する事だろうか、と思った。殺されたのは、私ともそう距離の離れていない人々だと思う。