大葉健二、辻仁成、キース・リチャーズ

 現在絶賛公開中という「海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバン THE MOVIE」は事実、絶賛されているようだ。
 この前の休みはほぼ丸一日寝てしまったため行けず、次の休みも何か雑事に追われそうで、何時行けるのかは分からないが必ず行こうと思う。
 こういう種類の映画は以前の勤務先の同僚であった歩くケイブンシャ「全怪獣怪人大百科」の異名を持つ「チャイナ帰りの男」と行くべきものだが、彼とは中々休みが合わないため、一人で行くことになるであろう。
 何と言っても、三十年の時を経て「宇宙刑事ギャバン」の初の映画進出であり、ギャバンこと一乗寺烈を演じた大葉健二氏本人も出演するのである。戦隊と宇宙刑事の共演などと、奇策もいいところだが、それには大いに乗せられよう。
 
 放送当時、私は小学四年生だった。高知での放送開始は数カ月は遅れていたはずだから、四月以降であったと思う。最初の数話は、斬新で格好いい新ヒーローを夢中になって見たのだが、四年生というのは微妙な年齢で、実写のヒーローというものは子供っぽいもの、土佐弁でいうところの「あやかしい」、これは馬鹿馬鹿しい、幼稚な、程度の意味で、「妖しい」なんて言葉と語源は同じじゃないかと思うのだが、ともあれその種のテレビ番組を「真剣に」見ることは格好悪いことという雰囲気が醸成され始めた。丁度「ガンダム」のブームは最高潮で、プラモデルを作ることはより高尚な遊び、ちゅうか「ホビー」、完成品の玩具は「子供の玩具」と、屋内遊びの定番も塗り替えられ、「マクロス」みたいな恋愛ドラマもあるしーみたいなアニメがスノッブなものとされた。
 そんな潮流には、我関せず、ではなく、周りの目は気にする「幼さ」があって、実写ヒーローを「真剣に」見ることはしなくなった。でも「真剣に」ではなく、まだビデオデッキもない環境ではあったが、ほぼ全話見た。馬鹿にしながら見た。それは、本心はまだ、特撮ヒーローの世界に充分に惹きつけられていたからであるのは言うまでもない。
 結局「宇宙刑事」シリーズから「メタルダー」あたりまでのメタルヒーローシリーズはすべて見た。
 
 話は大学生のころに飛ぶが、当時は松山に住んでおり、現存十二天守のひとつを残す伊予松山城の城下でも「大名行列イヴェント」があった。中心地のアーケード商店街を、大名行列の扮装をした人々が歩くのである。
 確か、姫役は西村知美だったと思う。
 そんな中のサプライズ。アーケードの天井からロープを垂らし、忍者装束の暗殺者集団が行列を襲撃して来た。その時、行列の先頭に躍り出て、ばったばったと刺客を切り倒す侍がいた。まさしく無双の剣豪であった。それが、大葉健二氏であった。上がった歓声の中に「ギャバン」という声もあった。私も声を上げた。
 大葉健二氏は松山出身で、俳優業と兼業で地元松山でイヴェント関係の仕事もしていて、その絡みでの登場であった。ヒーローがいた。しっかりと心に刻まれたヒーローがそこにがいた。刀の構え、眼光、すべて今も網膜に焼き付いている。
 「バトルフィーバーJ」でのバトルケニヤ、「電子戦隊デンジマン」でのデンジブルーと、ギャバン以前は三枚目的な役が続いたのだが、一転、「宇宙刑事ギャバン」で大葉健二氏は二枚目の単体ヒーローを演じ切った。同じ俳優とは思えなかった程だ。アクションも凄かった。今と違って、ヒーロー役者はアクションができるのが当然ではあったが、その中でも大葉健二氏は群を抜いていた。
 
 話を戻す。中学生ころになると、クラスのほんの少数は、アニメファンと当時呼ばれた層を形成する。まだ「オタク」という言葉は実際の「オタク」界隈でのみ使われる用語であって、一般に対しては知られた言葉ではなかったように思う。特撮ヒーローなどは、そんな層の中でもさらに極北であって、中学生世界の中で一際特殊な存在であった。
 その頃には自分自身の特撮ヒーロー好きはしっかりと自覚をしていた。レンタルビデオなども普及しつつあり、ウルトラ、ライダーなどメジャータイトルは観賞できる環境は整ってきた。書籍等も今に比べると遥かに点数は少ないが、高年齢層向けの資料本、写真集、サントラ盤なども販売され始めた。黎明期だったのかもしれない。そういったものを買い集め、熟読し、知識と愛情を募らせていった。
 周りには当然、同好の士は皆無で、友人内では変わり者ではあった。
 なお、上記は、実体験というか、当時を振り返ってそんな印象を持っていたという記憶に基づき書いているもので、俯瞰的な「オタク・カルチャー」史では、当然ない。
 ところが、高校入学と同時に、私は転向した。ユースカルチャー内はバンドブームであった。
 高校生になると、異性も本格的に意識し始める。あわよくばこの三年間のうちに筆を下ろそうなどとも現実味を持った(つもり)で考え始める。バンドをすれば、モテるだろうと考えた。今の言葉でいうところの「中二病」である。ちょっと、遅い発病ではあるが。
 しかし、始まりが悪かった。例えばブルーハーツジュンスカイウォーカーズなど、コピーしやすく一般受けもよいものから入って行くのが、定番コース、人気者への道だった。でも、私はテクニカルなものこそ格好いいと考えた。カシオペアザ・スクエア(当時はザ・だった)をコピーしようとした。やっとギターは手に入れたが、できる訳がない。どうにか簡単な、コードをストラムするだけの弾き語り程度はできるようにはなったが、バンド活動からは程遠く、それ以前の問題かもしれないが、イケてない学生生活は、やはり高校三年間も続いた。
 ちなみにニューエストモデルもボガンボスも知らなかった。
 エコーズが好きだった。楽譜がなくて弾き語りは出来なかったが、「ZOO」だけは今で弾ける。
 エコーズが好きな子って、どこかイタい子が多かったと思う。よく言えば繊細なのだろう。内省的なのだ。集団に対しての違和感を持っている自分に気がついた。辻仁成は代弁者だった。教室の隅の、イケてない奴らのヒーローだった。
 ちなみに、辻仁成が「ピアニシモ」で小説家デビューをしたのは高三の頃だと思う。勿論読んだし、面白かった。でも、小説家としての辻仁成は、好きというほどではない。今でもそうだ。読んだのはほんの一部の作品だし、文学を敷衍するような教養もセンスもないのだが、物足りなさを感じる。ゴメン。音源は今でもたまに聴く。 
 本と言えば、祖父の通夜の後、翌日が告別式だというのに徹夜で「人間失格」を読んだ。寝なければいけないのに読んだ。夏休みだったが、結局読書感想文は提出しなかった。
 そんな中、ビートルズストーンズやディランも聴き始めた。そうなると、音楽はモテたくてバンドをしたくてという手段ではまったくなくなっていた。
 丁度、ストーンズ初来日の時だった。テレビ中継があり、キースはタバコと吸いながらギターを弾いていた。格好良かった。私もタバコを吸い始めた。家で吸ったり、自分で買うのはなかなか勇気がなくて、悪いダブリの先輩に貰って校舎の影やトイレで吸った。バレたことはなかった。先生の言うことは聞かなくなった。それでも、好きな先生は何人かはいた。
 大学生になって、特撮への興味が戻って来た。その頃には、社会でのオタクカルチャーへの認知度は比べものにならないほど上がって来た。
 以来、特撮ヒーローとロックンロールとガンダムは自分にとっての三本柱であり続ける。まあ、他にも好きなものは沢山あるけれど。
 
 本当は、大葉健二について書くつもりだった。でも何故か、意図しない方向に進み、長く取り留めのない「つぶやき」になってしまった。
 で、大葉健二氏は、今でもやっぱり私にとってはヒーローなのである。強く、勇敢で、頼もしい宇宙刑事ギャバン
 映画の中では56歳になった今でも衰えることのないキレのあるアクションを見せているようだ。それに、今の技術で宇宙刑事を描いて欲しいとは、前から「チャイナ帰りの男」にも主張していた。尤も「何でもできる」CGでは却って味気なさを感じるかもしれない。それでも、銀幕のギャバン、我が世代に刻み込まれたヒーロー、見なければ収まらない。
 しかしひとつ問題が。あんまりの見たさにwebでついついネタバレな情報を仕入れてしまった。最大のサプライズを、事前に知ってしまったのだ。ああ、しまったことをしてしまった。