邪馬台国は阿波だった

 近頃歴史ブームなのか、民放の歴史バラエティ?番組が多い。今、昨日テレビ東京系で放送された番組のビデオを見ながら書いているのだが「イエス・キリストは日本で死んだ」や「平家一門はペルシャ系」など、真新しくはない珍説ばかりである。CGの青竜(声・松形弘樹)は「通説」を、白虎(ゴルゴ松本)が「異説」を、間にゲストの(生身の)榎本孝明を間に挟んで、唱え合うという構成であった。しかし、青竜の唱える説も、本当の「通説」とは些か異なるようであったが。
 この種の番組は、ゲテモノとして楽しみたいのだが、これはゲテモノ度が物足りない。かつての名作『時空警察』のように大いに笑えるものが欲しい。尤も、当時この種の番組がまだ珍しかったので、新鮮であったからかもしれない。あの番組はドラマ部分も凄かった。
 私は正式に歴史を学んだ訳ではないので、通説と思い込んでいるものも、違っているかもしれない。少なくとも『竜馬がゆく』は「小説」として読んでいるつもりだが。でも、歴史への接し方として、歴史小説はいいものだと思う。自説の主張のためにアカデミズムを否定する井沢元彦など論外であるが。
 私は知った風なことを言っている。学術書は、買っても最後まで読んだことはない。精々、学研の『歴史群像ムック』止まりなのである。
 史学科に進めばよかった思う。だけれども、高校の時には、科目としての日本史は大嫌いであった。歴史にロマンは感じたが、勉強は嫌いだった。史料を原典で読めるようになる自信もなかった。ロマンを感じるという直感を信じるべきだった。いや、中途半端で、負け続けている人間は、得てしてこの種の愚痴ばかり言うものだ。
 奇説、珍説、トンデモ説よりも、よくできた創作の方が遥かに面白い。『新選組!』で龍馬と近藤勇寺田屋で同じ湯に浸かりながら「今度会った時は敵ぜよ」と言ったり、最後の最後で新選組が龍馬を護ろうとしたり、『篤姫』で家定が暗愚を「装っていた」だけだったり、作り手が「分かっている」からこその奇抜なアレンジが面白い。
 奇説といえば、元親公の六男、長宗我部康豊が、詐欺師まがいのことをして生き延び、酒井家の家臣となるという話は面白い。徳川譜代の家臣の家臣というのはチト癪だが、なんてバイタリティのある人なのだろう。(詐欺師Aが出自も偽って仕官したとは、この際考えない)

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