MS-06Dのキモチ〜因幡に行ってきた

太平洋から来た男日本海に立つ

 鳥取砂丘へ日帰りで行ってきた。近頃、仕事と仮面ライダーと探偵小説ばかりの毎日だったので、気分を入れ替えたかった。
 鳥取砂丘へ行くのは2度目だ。初めては97年夏の神戸の長田の地蔵盆でのモノノケサミットのライヴの後、友人といっしょに急に思いつきで。
 その友人というのは、ロックも民謡も聴かないのだが、ライヴと同日に神戸のウィンズ(フェアグラウンドではない)に馬券を買いに行きたかったのと、ライヴに行きたい私の利害が一致して、金を出し合いレンタカーしたのであった。当時私は岡山に、彼は倉敷に住んでいた。
 その友人も、モノノケのライヴは予想外に充分に楽しんだようで、「レヴェラーズ・チンドン」(思えばあのアルバムは会場にて2ヶ月も先行の発売であった。懐かしい。)を買っていた。彼はその後ソウルフラワーのファンになった訳ではないが、音楽というものにまったく無頓着な人でも楽しませる力を持つというのは、モノノケならでは。
 ライヴ後、岡山へ向けて車を走らせていたのだが、姫路あたりで鳥取へ続く道路標識を見て、思いつきで大きく右折したのだった。休みながら、朝にはやっと鳥取砂丘に着いた。でも、真夏で暑かったのと疲れとレンタカーを返却するために、砂には一歩も踏み入らず、岡山を目指したのだった。まあ、意味のないドライヴ、若さ故の無茶、過ち、だった。勿論、全行程、一般道であった。
 それに、先日読んだ木村紅美さんの小説にも鳥取砂丘のイメージが出てくる。木村紅美さんとは、実質参加メンバーはほぼソウルフラワーファンの集まりであった、大阪の友人の結婚パーティにて面識を持った。「ディランのアルバムは何から聴いたらよいか?」という問いに、私は「最新作(当時はラヴ・アンド・セフト)とファースト」と答えた。それが正しいかったかは分からない。今でもやはりそう言うだろう。「モダン・タイムスとボブ・ディラン」だと。
 数年後、彼女が「文学界」の新人賞を取ったことを聞いて驚いた。小説を書く人だと知っていれば「今、面白い作家」を教えてもらったのに。
 彼女の「風化する女」を読んだことが影響しているのか、鳥取砂丘に行きたくなっていた。
 それに日本海が見たかった。一昨年に出雲に行った時は天気が悪かったし、何度か大山周辺から遠望したことはあったが、日本海をじっくり近くで見たことは今までなかった。
 思っていたよりもほんもの砂漠っぽかった。といっても、ほんものは見たことがないし、地質学の知識もないのだが、砂は今まで見たどの海岸のものよりも細かく、砂の丘の高低差も激しい。
 ちょっとMS-06D(ザク・デザートタイプ)の気分を楽しみつつ歩き、砂の丘を見上げると、ライダーV3に殴られあるいは蹴落とされたデストロン戦闘員たちが転げゆく姿を幻視した。いかにも、ライダーの戦いに似合いそうな風景。いかん、仮面ライダー・ノイローゼ。
 日本海の波は荒かった。今日が特別激しいのか、いつもこんななのか。桂浜でもいつもこれくらい荒くはない。
 間近で日本海を見るのはあまりない経験であるが、どこか懐かしいのは太平洋を思い出すから。瀬戸内はこんなに波打ちはしない。でも、北に向かって海が広がるのは、不思議な感じもする。
 
 

 粒の細かい砂地は歩き難さバッチリで、翌日の筋肉痛は約束された。
 駱駝が飼育されていて、有料で乗れるのだが、高かった(2人で3000円)のでやめた。大学の時の指導教授が境港のご出身で、学徒動員の時の訓練の場所であった鳥取砂丘が今は駱駝と馬車と観光客の闊歩する呑気な場所になっている事に釈然としないものを感じたと語られていたのを思い出した。ただ戦争の記憶が風化しつつあることへの抵抗感であったのだろう。

 潮騒と靴の中に砂が大量に入り込む(替えの靴下は必須だ)のを満喫し、砂丘公園を後にして、千代川(せんだいがわ)河口へと向かった。仁淀川物部川四万十川鏡川、国分川、江ノ口川、水道川(高知)、加茂川(愛媛)、高梁川旭川(岡山)いくつもの河口を見てきた私にとって、それは見ておかねばならぬものであった。岡山方面から来る国道53号線は県境あたりから千代川と併走していて、きれいな川なのですぐに思い入れができたこともあった。
 海が荒れている分、迫力もあり、台風間近の四万十川河口の激しさを思い出した。河口の交じり合うというよりぶつかり合うイメージが、大好きだ。

 その後、魚市場併設の食堂にて海鮮丼を食した。やはり私は魚が好きだ。そして、海の男だ。でも山の男でもある。些か、気分先行ではあるが。