富野タウンゼント

 思い出したが、前にインタヴューで富野監督が『作品の力で「一般的」影響力を持つまでになりたかったが、いわゆるオタクたちの間での「狭い」影響力しか持ち得なかったのは残念である』という文脈で、オフレコとしながら「もし一般的影響力を持ち得ていたならば、改憲主義者なんてのの跋扈する状況は作らせなかった」と語っていた。(実際ガンダムマーケティングという面では、大いに一般的影響力を誇る一大ブランドになったのであるが。)
 これは大いに意外な発言であった。それに仮に純粋に作品そのものが一般的影響力を持ち得ていたとしても、ガンダムが平和主義的主張を持っているとも思えないが。戦争を厭う描写はあるけど、戦闘を格好よく描くのがロボットアニメというものの命題であり、護憲的平和主義とはまったく重ならないと思うのだが。実際アムロは戦争の中で人間として「成長」しているし、その「成長の質」そのものは作品中で肯定されている。富野監督の個人的思想は護憲であるとしても、ガンダムという作品にそれは反映されていない。
 富野監督は、上記のように独り善がり的な作劇を持ち味としているし、確信犯的であるのだろう、インタヴューも非常に難解だ。今日、ピート・タウンゼントのインタヴューを読んだが、富野監督を連想した。似ていなくもない。髪の毛のアレなとこも。