禁煙ファシズム イン マイ マインド?

新聞にアイルランドの全面禁煙法制化の話題が出ていた。自宅を除く屋内(パブも含めてだ!)での喫煙が違法になるらしい。
ドーナルが喫煙者かどうか知らないが、ヒデ坊には受難の毎日が待っているだろう。
そういう私は、断煙約10日目である。その期間一切のタールとニコチンは体内に入っていない(受動喫煙は除く)。それでもちっとも吸いたい衝動が弱まらない。脳はニコチンを求める信号を出し続けている。常時喫煙する人が飛行機の中で禁煙を強要されているのと心身ともに同じ状態がずっと続いているようなものだろう。これはいつまで続くのだろう?ひょっとして永久にか?
しかし、ここまで来たらもう意地でも吸う訳にはいかない。今までが無駄な努力になってしまう。無駄な努力は無価値なものだ。無駄な努力はしない主義だ。
転向した者ほど、元々の自己の主義に対して強固な反対者になる。読売のナベツネ西部邁はかつて左翼だった。私も近い将来、超・嫌煙主義者になるのだろうか?喫煙者を「排斥」する潮流に賛同するのだろうか。
確かに今の私は、タバコの愉悦よりも喉のザラつかない事の快適さ(それに身体が軽い)を好むに至った。タバコ増税、大いに結構。消費税を上げられるよりははるかに健全だ。箱の表面殆どに「タバコを吸えば死にます」と記入されようが、一向に構わない。と、思うのだろうか。だとしたら、まったく人とは身勝手だ。私はオポチュニストだ。